都城市山田町山田にある山田城に行ってきました。
庄内十二外城の1つである山田城。戦国時代には北原氏と北郷氏の間で城主は何度も変わります。1543年北郷忠相(8代)が北原氏から山田城を攻めとると北郷忠茂を山田城主とします。1595年 都城は伊集院氏の所領となり山田城もその支配下に入ります。1599年の庄内の乱では伊集院忠真方の長崎治部少輔、長崎休兵衛が山田城を守りますが、島津軍に攻め落とされました。
山田城は本丸、二の丸(勢城)、上総城、安房城、取添などの曲輪で構成された山城ですが、現在 山田運動公園や都城市役所山田総合支所になっていて地形はかなり改変されています。
旧山田町役場(都城市役所山田支所)の近くに本丸の切岸が残り、その前に本丸跡の標柱が建っています。
山田城の本丸跡にある忠霊塔。
二の丸は山田運動公園になっており地形に城跡の面影はありません。
山田運動公園は高台になっています。
山田城からの景色。
山田運動公園の野球場の背後の高台は児童公園になっています。高台は山田城の切岸の名残に見えなくもない。
都城市役所山田総合支所にある山田城の説明版。
山田城の遠堀。この場所がわかりにくくて地元のおじちゃんに案内してもらいました。遠堀は高台の児童公園の南側から断続的に残っていますが藪でわかりにくかった。
山田城遠堀の標柱裏にある空堀も藪になっていました。
山田城のある山田町は都城駅から遠い場所にあるので、知人の車に乗せてもらい城攻めしてきました。ほんとに感謝ですね〜😌