ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

城攻め

土成城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある土成城に登りました。土成城は築城年や城主など歴史的な詳細がわかっていない山城です。 土成城の縄張り図。主郭には塚が残り、南側斜面には2段の横堀らしき遺構がありました。 麓にある標柱と背後の丘陵が土成城。 土成城…

月野城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町月野にある月野城(槻野城)に行ってきました。月野城は島津方の若松石見守の居城で、1599年庄内の乱の際に伊集院軍の日高静鎮、中村吉右衛門らの奇襲を受け、城主の若松石見守は討死しています。現在城跡は月野小学校になっています。 …

新城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある新城です。天文年間に北郷氏が税所氏の守る岩川新城を攻めたという記録があり、岩川新城に該当する城がこの新城といわれています。 新城の地形図。新城の丘陵のある山頂は畑地として整備されたため、どこまでが遺構かは不明…

平松城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町南之郷にある平松城です。平松城は要衝である国合原の北側にあり付近では度々合戦がおきています。1573年北郷氏の家臣 永井刑部(肝付氏家臣の説あり)が築いたといわれ、北郷氏は平松城を肝付攻めの拠点とし平松陣とも呼ばれています。…

恒吉城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町恒吉にある恒吉城に行ってきました。恒吉城は庄内十二外城の1つで、1599年の庄内の乱の際には伊集院方の伊集院宗右衛門、滝聞兵三郎が守備しました。 恒吉城の縄張り図。Ⅰ群の日輪城、Ⅲ群の西高城、Ⅳ群の東高城を中心に構成された大規模…

手取城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある手取(しゅじゅ)城に行ってきました。手取城は平信基の五男 岩川信家により築城されたといわれています。岩川氏は南北朝時代に繁栄しますが、1359年島津氏久が国合原で相良定頼に負けた際に岩川氏は氏久の援軍を拒否したた…

岩川城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町岩川にある岩川城です。岩川城は馬場城や岩尾城とも呼ばれ岩川氏の家臣馬場氏が築いたといわれています。1566年肝付氏が北郷時久領の岩川城を攻め肝付方は26の首級、北郷方は久木崎丹後守等10余騎討死するという記録から、岩川城は岩川…

宝珠庵城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町にある宝珠庵城です。末吉城より古い時期に築かれた城で島津氏の当主が度々滞在した城だそうです。1560年島津貴久と伊東義祐の和睦交渉があり島津貴久は足利義輝の使者伊勢貞運とこの城で会見しましたが和睦交渉は不調に終わっています…

末吉城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町にある末吉城です。庄内十二外城の1つで、1599年の庄内の乱の際には伊集院忠真の弟 伊集院小伝次が城主でした。伊集院小伝次は島津方の攻撃を受けますが末吉城を守りきり、伊集院と島津の和睦で末吉城を島津氏に明け渡しています。末吉…

溝辺城(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市溝辺町麓にある溝辺城に行ってきました。溝辺城は築城者や築城年はわかっていませんが溝辺孫太郎の居城だったといわれています。南北朝時代になると島津氏により肝付兼固が大崎から溝辺に移封され城主となりました。肝付兼固の父である肝付兼…

紫波洲崎城(宮崎市青島)

宮崎市青島にある紫波洲崎城に行ってきました。紫波洲崎城は伊東四十八城の1つで城主は河崎上総府でした。戦国時代の伊東氏豊後落ちに伴い紫波洲崎城は島津氏に攻められ、城主の河崎良武(上総府の子)一族は自刃し果てたといわれます。 上写真は紫波洲崎城…

野間城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北にある野間城です。戦国時代に祢寝氏の家臣 野間武蔵が城主でした。城の前身は建部城でそれを拡張したのが野間城といわれています。上写真は南側から見た野間城の丘陵。 縄張り図。 野間城の入口。 町営住宅から野間城へ入る…

瀬脇城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南にある瀬脇城です。瀬脇城は祢寝氏の重臣 税所篤長の居城でした。祢寝重長が島津氏と和睦したため瀬脇城はこれまで同盟関係にあった肝付氏、伊地知氏の連合軍に攻められ落城。税所篤長も討ち死にしています。上写真は東側から…

富田城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南にある富田城に行ってきました。富田城は祢寝氏の本拠の1つです。もともと祢寝氏は佐多の高木城を拠点としていましたが、祢寝5代 祢寝清治のときに富田城を築いて根占に移りました。後に祢寝氏は国見城を築いて移る時期もあり…

国見城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北にある国見城です。国見城は1321年祢寝7代 祢寝清成が築城し富田城から祢寝氏の本拠を移します。戦国時代に祢寝氏の本拠は再び富田城に変わり、国見城には家臣の野間武蔵が在番したようです。17代 祢寝重張のとき富田城が手狭…

佐原城(神奈川県横須賀市)

神奈川県横須賀市佐原にある佐原城に行ってきました。三浦一族の佐原十郎義連の城といわれています。佐原義連は三浦義明の10男で子孫には会津で戦国大名になった蘆名氏がいます。現在城跡の丘陵はマンションや畑になり、佐原十郎義連城跡の石碑があります。 …

岩弘城(鹿児島県東串良町)

鹿児島県肝属郡東串良町岩弘にある岩弘城です。岩弘城は1411年 島津久豊(島津氏8代)の命により串良の地頭になった平田重宗が築いたといわれています。平田氏は重宗、氏宗、兼宗と岩弘城で3代続きますが、平田兼宗のときに島津忠昌(島津氏11代)の怒りをか…

相良頼景館(熊本県多良木町)

熊本県球磨郡多良木町黒肥地にある相良頼景館です。相良頼景は源頼朝の平氏討伐の挙兵に協力しなかったため本拠地の遠江国相良荘から肥後国多良木荘に追放されますが、のちに源頼朝に赦され多良木荘の地頭となります。多良木荘の地頭となった上相良初代 相良…

湯前城(熊本県湯前町)

熊本県球磨郡湯前町にある湯前城です。相良氏の家臣 東直政が城主でした。1559年相良氏家臣同士の戦である獺野原の戦いで東直政は戦死し、湯前城は落城。後に東能登守が城主となります。湯前城は現在里宮神社の敷地になっていますが、東側に残る2段の横堀は…

鍋城(熊本県多良木町)

熊本県球磨郡多良木町にある上相良氏の本拠地だった鍋城です。上相良氏は相良頼景が源頼朝より多良木荘を与えられたのが始まり。相良頼景の子 相良長頼は源頼朝に人吉荘(熊本県人吉市)を与えられ下相良氏と呼ばれます。本家である上相良氏と下相良氏は南北…

岸良城(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町岸良にある岸良城に行ってきました。岸良城は肝付一族の岸良氏の居城で、城のある地域は本地と呼ばれています。岸良氏は肝付4代 肝付兼員の二男 兼基が岸良の地を与えられ岸良氏を名乗ったのが始まり。上写真は岸良城のこんもりとした小…

下伊倉城(鹿児島県東串良町)

鹿児島県肝属郡東串良町にある下伊倉城です。下伊倉城は肝属川沿いに築かれた肝付一族の水運の拠点となった平城です。この城から米などの物資が肝付氏の各城に運ばれたそうで、野崎氏が城を任されました。畑となった本丸、二の丸を分厚い土塁が囲み、その外…

高山城(熊本県あさぎり町)

熊本県球磨郡あさぎり町深田東にある高山城に行ってきました。文治建久の頃深田の地頭だった平河太郎盛高が築いたといわれます。平河盛高は中球磨の在地土豪で岩城主 平河義高の子です。上写真は山頂に高い木が生えて遠くからでも目立つ高山の遠望。 地形図…

岩城(熊本県錦町)

熊本県球磨郡錦町木上東にある岩城(木上城とも)です。平安時代末期に木上地頭だった平河義高が築きました。平河義高は相良氏が遠江国相良荘から人吉に入国する際に協力しますが、後に謀反の疑いで平河一族は相良氏に討たれてしまいます。戦国時代の岩城の…

久米城(熊本県多良木町)

熊本県球磨郡多良木町久米にある久米城に行ってきました。鎌倉時代にこの地の地頭 久米三郎が城主だったといわれる久米城。戦国時代には相良氏の家臣 東加賀守が城主だったとされ、1559年の獺野原の合戦で落城したそうです。 久米熊野座神社から久米城への登…

宮原城(熊本県あさぎり町)

熊本県球磨郡あさぎり町岡原南にある宮原城です。鎌倉時代にこの地の地頭だった宮原氏の居城で、戦国時代には相良氏の家臣 犬童十兵衛が城主だったといいます。 縄張り図。 宮原城の本丸。林道が本丸をぐるりと囲むようにまわっています。 本丸。 本丸南側の…

柳井谷の陣(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町新富にある柳井谷の陣です。1506年 島津忠昌(島津氏11代)が肝付氏の高山城を攻めた際に本陣を置いた山です。この合戦は肝付氏に援軍するものが多く、島津忠昌は高山城を落とせず鹿児島に引き上げました。 地形図。柳井谷の陣は登山道…

龍相城(鹿児島県大崎町)

鹿児島県曽於郡大崎町にある薬丸弾正兼持が守将だった龍相城(竜相城)です。1469年に肝付兼光(肝付12代肝付兼忠の三男)が龍相城の前身である大崎城を築きます。肝付兼光は肝付本家を離れ島津忠昌の配下になったため子の兼固のときに溝辺→加治木→喜入と領…

弓張城(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町新富にある弓張城に行ってきました。弓張城は南北朝時代に南朝方の楡井頼仲が築いたと伝わる山城です。弓張城のある城山の山容が弓を張ったような形をしていることから弓張と名付けられたといわれています。志布志を拠点にしていた楡井…

野崎城(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町野崎にある野崎城(塚崎城とも)です。肝付一族の野崎氏の居城でした。野崎氏は肝付4代 肝付兼員の三男 兼弘が野崎の地を与えられ野崎氏を名乗ったのが始まり。野崎城跡には野崎氏初代の肝付兼弘の墓があります。 野崎城の東側。 肝付兼…