ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

宮崎県の城

綾城(宮崎県綾町)

宮崎県東諸県郡綾町にある綾城に行ってきました。綾城は室町時代に足利尊氏の家臣である細川小四郎義門がこの地に下向し、その子義遠が地頭となり綾城を築城し綾氏を名乗ったのが始まりです。綾氏は8代続き伊東氏の家臣となってこの城を去ると、長倉若狭守が…

将軍山(宮崎県都城市)

宮崎県都城市高城町にある将軍山(春日山)に行ってきました。将軍山は1339年に畠山直顕が月山日和城に籠もる南朝方の肝付兼重を攻めるために本陣を置いた山です。畠山直顕は足利尊氏の命で日向地頭職となり穆佐城を拠点とし南朝方勢力を一掃していました。…

奈佐木城(宮崎県小林市須木)

宮崎県小林市須木にある奈佐木城に行ってきました。奈佐木城は伊東四十八城の1つで城主は肥田木三郎兵衛尉でした。現在城跡は奈佐木城址公園となっていますが草が生い茂り藪化しています。上写真は北側から見た奈佐木城の城山。 縄張り図。主郭北側には2段の…

須木城(宮崎県小林市須木)

宮崎県小林市須木にある須木城に行ってきました。須木城は伊東四十八城の1つで代々須木米良氏の居城でした。須木城主だった米良筑後守重方は伊東義祐から須木城の他に小林城や野首城の城主も任されるほど信任の厚い武将でしたが、1572年の木崎原合戦において…

登能尾山(宮崎市清武町)

宮崎市清武町にある登能尾山です。清武城の出城の1つといわれ、城跡には伊東祐堯の墓所があります。上写真は登能尾山の山頂の主郭。 主郭脇の空堀状の地形。 清武城と切通の道を挟んだ右側の丘陵が登能尾山。 登口にある伊東祐堯の墓の標柱。 登能尾山の位置…

跡江城(宮崎市跡江)

生目古墳群の台地南東端にある跡江城です。南北朝時代の1336年南朝方の瓜生野八郎右衛門尉が跡江城に拠って挙兵しますが、北朝方の伊東祐持、土持宣栄らの攻撃を受け落城しています。上写真は東側から見た跡江城の丘陵。跡江城は山の中にきれいに遺構が残さ…

向ノ城(宮崎県西都市)

宮崎県西都市鹿野田にある向ノ城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。まわりは住宅地になっていますが曲輪はきれいに整備されています。 地形図。 曲輪①入口の標柱。 曲輪①。 曲輪①西端。土塁のように高くなっている。 曲輪①から堀切越しに見た曲輪②。…

日隠城(宮崎県西都市)

宮崎県西都市鹿野田にある日隠城に行ってきました。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つで北側を守る城でした。上写真は日隠城の山の遠望。山容は越後の春日山城に似ていますが、畑地として利用された形跡があり遺構は不明瞭でした。 日隠城の登り道。尾…

穆佐城(宮崎市高岡町)

宮崎市高岡町にある穆佐城に行ってきました。穆佐城はシラスの丘陵を利用した山城で、たびたび日向国の戦乱の舞台に登場します。南北朝時代には足利尊氏の命を受けた畠山直顕が入り北朝方の拠点とすると、戦国時代には島津氏と伊東氏の争奪戦のすえ、島津久…

日高城(宮崎市田野町)

宮崎県宮崎市田野町乙にある日高城に行ってきました。日高城は仮屋原城(田野城)の西方の支城といわれています。 日高城の地形図。主郭の南側には土塁があり、土塁の先には城域と南側台地を分断する空堀と土橋が残ります。 登口。 山頂の主郭までの登り道。…

梅谷城(宮崎市田野町)

宮崎市田野町の梅谷集落の北東丘陵にある梅谷城です。南北朝時代に築かれた岩城といわれていますが城主や築城年など詳細な歴史はわかっていません。 梅谷城の地形図。 梅谷城の曲輪は牛舎の堆肥場になっているため入れません。 梅谷集落入口の橋にある城址の…

古城(宮崎市清武町)

クロスモール清武の裏にある古城という山城に登ってきました。古城は歴史的な詳細はわかっていませんが位置的に清武城の出城的な役割をしていたと思われます。また清武城よりも前に築かれた城なので古城という名称がついているそうです。 古城の地形図。入口…

清武城(宮崎市清武町)

宮崎県宮崎市清武町加納加納甲にある清武城に行ってきました。清武城は伊東四十八城の1つで城主は長倉伴九郎、上別府宮内少輔でした。この2人の武将は1572年の木崎原の戦いで戦死しています。伊東氏が衰退すると一時島津方の伊集院久宣が入りますが1587年の…

紫波洲崎城(宮崎市青島)

宮崎市青島にある紫波洲崎城に行ってきました。紫波洲崎城は伊東四十八城の1つで城主は河崎上総府でした。戦国時代の伊東氏豊後落ちに伴い紫波洲崎城は島津氏に攻められ、城主の河崎良武(上総府の子)一族は自刃し果てたといわれます。 上写真は紫波洲崎城…

高城城(宮崎県木城町)

宮崎県児湯郡木城町高城にある高城城に行ってきました。高城城は伊東四十八城の1つで城主は野村蔵人佐でした。この城が有名になるのは伊東氏没落後、島津方の山田有信が城主になったときで、2度の大きな合戦を耐えています。1度目は大友軍(耳川合戦)、2度…

穂北城(宮崎県西都市)

宮崎県西都市穂北にある穂北城です。伊東四十八城の1つで城主は伊東氏の重臣 長倉藤七でした。1577年の伊東氏の豊後落ちの際に城主の長倉洞雲斎がこの城で島津氏を食い止め、伊東義祐を豊後に落ち延びさせます。 穂北城の縄張り図。城は深い空堀で区切られた…

上ノ城(宮崎県新富町)

宮崎県児湯郡新富町上富田にある上ノ城に行ってきました。上ノ城は伊東四十八城の1つ、富田城に想定される城で城主は伊東氏の家臣 湯地五郎九郎でした。城跡は2つのピークからなる細長い丘陵上に築かれ、左側の標高の高いピークに主郭があります。 縄張り図…

市之野城(宮崎県国富町)

宮崎県東諸県郡国富町森永にある市之野城に行ってきました。市之野城(市之尾城とも)は伊東氏と島津氏の攻防の舞台となった伊東方の城です。島津氏に攻められた際に城内の少女が山の背から米の研ぎ汁を流し、城に水が十分にあることを誇示したという伝説が…

有嶺城(宮崎県西都市)

宮崎県西都市岡富にある有嶺城主に行ってきました。有嶺城は一ツ瀬川の東岸に築かれた山城で城主は長友兵庫頭行安と伝わります。現在の城跡に残る遺構から戦国時代には伊東氏の傘下にあったと思われます。 縄張り図。(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書…

浦尻城(宮崎県延岡市)

延岡市の浦尻湾に浮かぶ水軍城、浦尻城に行ってきました。浦尻城は浦城城とも呼ばれ浦尻湾の岬状に突き出た丘陵に築かれていました。河野系越智氏の支城といわれ、戦国時代に大友宗麟が縣を攻めた頃の城主は松田義清といわれています。 浦尻城の縄張り図。浦…

務志賀軍営(宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市無鹿町にある務志賀軍営です。1578年に大友宗麟が縣の土持氏を攻めた際に本陣を置いた場所です。 妻耶神社の登口にある大友宗麟陣屋跡地の標柱。 妻耶神社の鳥居。 標柱と神社の階段。 妻耶神社。 妻耶神社の階段から見た北川。風光明媚な場所で…

松尾城(宮崎県都城市山之口町)

宮崎県都城市山之口町にある松尾城です。南北朝時代に南朝方の肝付兼重が築いた出城といわれています。松尾城の山は現在あじさい公園として整備され、山頂には天守閣を模した展望台があります。 松尾城の復元図。 松尾城の段々の曲輪。 山頂手前の曲輪。 山…

泉城(宮崎県西都市岩爪)

宮崎県西都市岩爪にある泉城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。現在は畑地になっています。城域などは不明。 泉城の位置。

東ノ城(宮崎県西都市鹿野田)

宮崎県西都市鹿野田にある東ノ城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。丘陵全体竹藪の山ですが、丘陵の北東部分は地籍調査で竹が刈られており上まで登れました。 東ノ城の地形図。虎口らしき遺構と土塁が確認できます。 東ノ城の標柱。 東ノ城の登り道…

前ノ城(宮崎県西都市鹿野田)

宮崎県西都市鹿野田にある前ノ城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。前ノ城の丘陵は現在鶏舎があるため立入禁止になっています。上写真は東ノ城付近から見た前ノ城の丘陵の遠望。 前ノ城の地形図。すぐ東には東ノ城があります。 城跡から少し離れた道…

井之城(宮崎県都城市高城町)

平家の落人である井上氏の城と伝わる井之城です。井之城のある高城町四家という地区は源平合戦の後に平家の落人としてこの地に移り住んだ、黒木、井上、永峯、二見の四家が由来になっています。井之城の井上氏はこの四家の1つになります。上写真は野尻側から…

木場城(宮崎県都城市高崎町)

宮崎県都城市高崎町縄瀬にある木場(こばん)城に登ってきました。木場城は1571年に伊東義祐の家臣 伊東加賀守が城主となった山城で、現在公園として整備され山の上まで車で登ることができます。 木場城の説明板にある縄張り図。宮崎県では珍しい畝状竪堀群…

石山城(宮崎県都城市高城町)

宮崎県都城市高城町石山にある石山城に行ってきました。石山城は舌状台地の先端部に築かれています。1541年高城攻略を目指す北原久兼、伊東義祐の連合軍が茶臼ヶ陣山に陣を置きました。対する高城の北郷忠相は石山城に陣を置いて、対岸の伊東・北原連合軍と…

馬関田城(宮崎県えびの市西川北)

馬関田城は北原氏の庶流である馬関田氏の居城です。東福城、馬関田古城とも呼ばれています。現在馬関田(まんがた)城はネット上でも正しくない位置で紹介され、どこにあったか不明瞭になっていました。自分も以前行った場所が違っていたので今回馬関田城の…

猿ヶ城(宮崎県えびの市浦)

宮崎県えびの市浦にある猿ヶ城に登ってきました。猿ヶ城は奥まった池牟礼地区にあり宮崎県と鹿児島県の境目に位置する山城です。1471年に有馬豊前兵衛純秀が太宰府から池牟礼に移住して築いたのが猿ヶ城といわれています。猿ヶ城の東側麓は屋敷ノ内という字…