ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

日南の史跡

諏訪馬場

日南市大字楠原にある武家屋敷通りの諏訪馬場(すわのばば)。飫肥城から離れた川向かいの楠原の地にあることから下級武士の屋敷があった通りといわれます。 約250mの通りには武家屋敷の名残の石垣が残ります。諏訪馬場の「諏訪」は近くにある諏訪神社が由来…

駒宮神社

日南市大字平山にある駒宮神社にはじめていってきました。 駒宮神社は初代天皇である神武天皇が祭神で、神武天皇が舟釣りの折りに龍神から賜った龍石という愛馬を祀っています。またこの場所は神武天皇の幼少時の少宮趾と伝えられています。 駒宮神社の鳥居…

神武天皇 駒繋ぎの松跡

駒宮神社近くにある神武天皇ゆかりの史跡、駒繋ぎの松跡です。 愛馬の龍石を繋がれた松の跡といわれます。

草履石・駒形石

駒宮神社の近くにある神武天皇ゆかりの史跡。 神武天皇の草履の跡と愛馬の龍石の足跡が残ったといわれています。

海野藤十郎の墓

日南市東郷の福谷地区には伊東祐兵の家臣 海野藤十郎の墓があります。 戦国時代に現在の宮崎県の大部分を領して伊東氏の全盛を築いた日向国主 伊東義祐。 1572年 木崎原の戦いで伊東義祐は島津氏に大敗し伊東48城の一部の家臣団が次々に島津氏に寝返り、国を…

伊東祐実と油津堀川運河

日南市楠原の報恩寺跡伊東墓地にある飫肥藩5代藩主 伊東祐実の墓。 飫肥藩5代藩主 伊東祐実は薩摩藩との境界争いである牛の峠論山の勝訴、油津堀川運河の開削、日向灘沖大地震の被害を受けた飫肥城の大改修など多くの功績を残しています。洞林(どうりん)公…

伊東祐国の供養塔

飫肥城の北にある東楽寺跡近くには1485年の飫肥城攻めで戦死した伊東祐国(すけくに)の供養塔があります。 伊東祐国は西都の都於郡城主で伊東氏12代当主。 飫肥城主 新納忠続と櫛間城主 伊作久逸が島津家臣同士でありながら仲間割れ。 伊作久逸は伊東氏に援…

伍社神社

日南市南郷町にある伍社神社。1650年 飫肥藩3代藩主 伊東祐久の外浦干拓事業の際にシヲという女性を人柱として埋めたと伝わります。 伊東家はもともと初代藩主 伊東祐兵のときに石高を多くみせていたため財政は苦しく、伊東祐久は税収を増やすために海を埋め…

伊東平右衛門の墓

日南市南郷町贄波の海岸近くに伊東平右衛門祐続の墓があります。 伊東平右衛門は飫肥城主 伊東祐兵の家臣でしたが、長倉甚兵衛、川崎又右衛門らとともに、伊東義賢(祐兵の兄の子)こそ伊東家の嫡流であり、飫肥の領主は祐兵ではなく義賢がふさわしいと思う…

伊東祐兵の墓

飫肥城下まつりのパレードのあとに、飫肥藩初代藩主 伊東祐兵さまの墓を参拝しました🤗 伊東祐兵の幟🥰 伊東家墓地のある楠原の五百祀神社

於仙と成瀬伊東氏の墓

飫肥板敷の長持寺跡の伊東墓地にある於仙(おせん)の墓を参拝しました。 於仙は飫肥藩初代 伊東祐兵の次女。犬山城主 成瀬正成の弟 成瀬正武に嫁ぎます。成瀬正武は徳川家の重臣でしたが徳川幕府内の勢力争いに巻き込まれ、突如切腹させられます。 夫を失っ…

薬丸湖雲の墓

南郷町脇本の八幡神社にある湖雲ヶ城主 薬丸湖雲の墓を参拝しました。 1576年の伊東氏との合戦で戦死し、八幡神社付近にあった金運寺に葬られました。 薬丸湖雲を祀る八幡神社。 薬丸湖雲は肝付氏の重臣で悲運の武将といわれています。子孫は薬丸自顕流とし…

安楽下総介の墓

南郷町津屋野にある安楽下総介の墓を参拝しました。 安楽下総介は薬丸湖雲とともに伊東氏と戦い戦死しています。 地元の人から安楽様と呼ばれ、現在も大事に祀られています。

伊東義賢の供養塔

油津のまなびピアの裏にある霧島神社の山裾の山林に伊東家の殿様の墓があります。この墓は最近になって発見されたそう。 伊東義賢の墓です。 伊東義賢(よしかた)は16代 伊東義祐の孫、父は17代 伊東義益。父の義益は若くして亡くなり、義賢は幼少のまま伊…

鶯巣番所跡

日南市の最北に位置する鶯巣(おうさ)にある飫肥藩の関所、鶯巣番所跡です。 鶯巣には飫肥藩の武士、足軽10名が配置されていていました。 鵜戸街道の鶯巣番所より南は飫肥藩の城付地、北は飫肥藩の清武地頭領。同じ飫肥藩内で管理する役所が分かれています…