ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

田尻氏の鷹尾城と、その支城群めぐり

筑後国人領主である田尻氏のお城めぐりをしてきました。田尻氏は主に山門、三池2郡を領していました。戦国時代には田尻鑑種が、佐賀の龍造寺隆信の軍勢を迎え撃ち、田尻一族は結束して鷹尾城と4つの支城(津留城、浜田城、堀切城、江浦城)で防戦し撃退しました。そんな田尻一族の城を紹介しまする(o´∀`o)

鷹尾城(福岡県柳川市大和町鷹ノ尾)


田尻氏の本城です。矢部川を天然の外堀としたお城で、往時は水に浮かぶ島のような水城でした。現在は城の近くを流れる矢部川沿いに堤防が築かれ、城跡の遺構は何も残されていません。上の画像は、堤防から鷹尾城の本丸があった場所をとったものです。

↑鷹尾城跡には田尻親種の墓が残っています。

津留城(福岡県柳川市大和町六合)


津留城は鷹尾城の4支城の一つで、鷹尾城の北に位置しています。集落を取り囲むように現在でも水堀の跡が水路として残っています。
津留城は田尻親種の一族・田尻鎮直が、津留因幡守とともに守っていました。

浜田城(福岡県みやま市瀬高町濱田)


鷹尾城の4支城の一つ。浜田城は浜田の集落の中にあり、古城と呼ばれる地名が残っていて、そこが浜田城の中心部だったようです。画像は古城と呼ばれている箇所で、水堀が残っています。水堀に囲まれた家のあるとこが浜田城の本丸跡です。

堀切城(福岡県みやま市瀬高町河内)


鷹尾城の4支城の一つ。この堀切集落も、浜田城や津留城のように城跡の水堀が集落を巡っています。

近くには堀切寺屋敷と書かれた石碑もあります。

江浦城(福岡県みやま市高田町江浦町)


江浦城は鷹尾城の4支城の一つ。城主は永江勘解由で、田尻了哲とともに守っています。現在は江の浦本丸の交差点に画像のような大きい城址碑が建っています。


田尻氏の鷹尾城、津留城、浜田城、堀切城、江浦城の5つの城を攻略!!すごい成果ですね(*´∇`*)
この5城を全部徒歩で歩いたことにより、鷹尾城とその支城の位置関係もわかったし、城を中心に集落が形成されて、現在でもその集落の中に城跡の堀割が残っているということもわかりました。
筑後という地域にはクリークを利用した縄張りの城が多いですね。