ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

戦国大名、里見氏のお城めぐり

神奈川の久里浜からフェリーに乗って千葉の房総半島へ。
安房戦国大名・里見氏の史跡を見てきますたo(`▽´)o

岡本城

里見義頼(里見家8代)の本拠。

・本丸
城址碑と案内板が設置されています。里見氏の本城なので国指定史跡にもなっていまする。本丸の先には物見台といわれる岩場があり、眼下に東京湾を見渡すことができます。

・堀切
本丸の山と聖山の尾根を分断する堀切です。

岡本城は里見義頼、義康の2代が館山城に移るまで居城とします。水軍を重視したお城なので、海岸沿いに築かれています。写真の左の低い方が本丸で、右の高い方が梅王丸が幽閉されたという聖山。聖山のほうにも石垣や堀切、土塁など遺構がたくさん残ってます。

城主:里見氏
場所:千葉県南房総市富浦町原岡

里見義頼のお墓@光厳


岡本城を本拠とした里見義頼のお墓です。
8代の義頼は家督相続に関して骨肉の争いを制した武将。7代里見義弘が自分の死後に際し、梅王丸(義弘実子)に上総を、義頼(義弘養子)に安房を分割相続させます。しかし、里見義頼はその事に不満を持ち、武力で梅王丸を捕らえ幽閉し、上総、安房をあわせ義弘の遺領をまるごと相続してしまいます。

稲村城

里見氏のお家騒動「天文の内乱」の舞台。

・本丸
稲村城の本丸。奥の土塁も高さがあり重厚です(*´Д`)

・切岸
里見氏の城郭に見られる切岸。岩盤を垂直に削り城塁としたもの。これでは敵も登れません。

・正木様
稲村城内には里見氏の重臣・正木氏をまつっている社があります。正木氏の子孫が先祖の供養のために築いたものだそう。


稲村城は里見氏の4代里見義豊までの本拠だけあって、城はかなり広く、戦国時代前期の遺構がそのまま残ってます。義豊が滅ばされるきっかけになった「天文の内乱」の舞台でもあります。
1533年里見義豊が稲村城に重臣の里見実尭と正木通綱を呼び出し、殺害するという事件がおこります。
殺害された実尭の子である里見義尭が小田原の北条氏の援軍を得て、主君の里見義豊を攻め安房から追放。その後、上総の加勢を得た義豊が安房に戻り、義尭の軍勢と戦い、結果は・・・本家の義豊が討ち死に。里見氏の嫡流は4代の義豊で途絶えてしまいます。
これにより分家の里見義尭が里見氏の家督を継承。この嫡流から庶流への政権交代劇が「天文の内乱」といわれるものです。

5代当主となった里見義尭は宮本城を拠点としたため、稲村城は里見氏の城として使われなくなりました。
里見氏はドロドロとしてますね。

城主:前期里見氏
場所:千葉県館山市