埼玉の深谷市へ。戦国時代に深谷は上杉の城下町ということで、深谷に残る上杉氏の史跡を散策してきましたo(`▽´)o
深谷城
深谷上杉氏の居城であった深谷城。最後の城主の上杉氏憲は小田原・北条氏の傘下であったため、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐にまきこまれます。深谷城の上杉氏憲は、他の関東の武将と同じく、小田原に出陣し北条氏とともに小田原城で籠城。そのときに深谷城の留守をまかされたのが秋元景朝、長朝でした。秋元父子は豊臣軍の前田利家、浅野長政の攻撃を受ける前に深谷城を明け渡し、深谷の町を兵火から救ったそうです。
現在深谷城は深谷城址公園や深谷小学校になり遺構はあまり残っていませんが、富士浅間神社のまわりに外堀の跡。高台院にも土塁が残っています。
城主:深谷上杉氏、松平氏、酒井氏 場所:埼玉県深谷市本住町
庁鼻和城
深谷上杉氏は関東管領・上杉憲顕の6男の上杉憲英がこの地に庁鼻和城を築いたのが始まり。以来、憲光、憲長と3代続き、深谷城にうつるまで深谷上杉氏の居城でした。
庁鼻和城は深谷上杉氏の菩提寺である国済寺になっています。
国済寺の本堂裏に残る庁鼻和城の土塁。高さもあり、なかなか重厚な土塁です。
城主:深谷上杉氏 場所:埼玉県深谷市国済寺
秋元氏館
深谷上杉の三宿老の一人である秋元氏の館跡。秋元町の住宅地にポツンと大きな石碑が建っています。
秋元氏は1541年秋元景朝、長朝親子が、上杉憲賢、憲盛に仕え深谷上杉氏の重臣となりました。1590年の小田原合戦の際は主君、上杉氏憲の代わりに深谷城を守っています。
城主:秋元氏 場所:埼玉県深谷市秋元町
秋元氏の墓(元誉寺)
秋元氏館から少し離れた元誉寺に秋元景朝、長朝の墓があります。
新しい五輪塔と古い墓石が並ぶ。