ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

乙津川古戦場

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1586年島津氏は豊後に侵攻した際、臼杵城の支城である鶴崎城に伊集院久宣、白浜重政、野村文綱を大将とした3000の軍勢で攻めました。

鶴崎城主・吉岡統増は大友宗麟とともに臼杵城に籠っていたため、統増の母、妙林尼が城を守っていました。妙林尼は城の周りに落とし穴や柵をつくり南側から攻める島津勢は攻めあぐねました。妙林尼側も弾薬などがつき島津方と和睦し城を開城します。翌年、豊臣秀吉が小倉に入ったという知らせが届き、島津勢は薩摩へ撤退することになりました。出発の前夜に妙林尼たちは島津の武将を酒でもてなし、翌朝島津隊は酔いが残った状態で鶴崎城を出ます。妙林尼は乙津川に鉄砲隊を伏兵として配置しており、島津勢は鉄砲隊により壊滅、伊集院久宣、白浜重政が戦死。野村文綱も負傷しその傷がもとで日向・高城で亡くなりました。

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 鶴崎勢は妙林尼の計略により島津勢を300以上討ち取ったと言われています。

 

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戦死者を祀った寺司地蔵尊

 

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鶴崎城を奪還した吉岡妙林尼の石像が鶴崎校区公民館の前にあります。