串間市内には足利(大覚寺)義昭のものといわれる墓が3つあるので参拝してきました😊
「義昭」と書いて「ぎしょう」と読みます。
足利義昭は室町幕府6代将軍 足利義教の弟で、大覚寺に出家していたため大覚寺義昭とも呼ばれます。
1440年5代将軍が亡くなった時に後継者候補の4人のうちの1人になりましたが、くじ引きの結果、兄の義教が6代将軍となると義昭は大覚寺を出奔し、京都から日向国の串間に逃れ、串間の豪族 野辺氏により永徳寺で匿われました。
1441年足利義教は義昭が串間にいるのを知り、島津忠国の軍勢に永徳寺を攻めさせ、義昭は自害しました。
義昭が攻められ自刃した永徳寺。
永徳寺のこの山の上に義昭の墓があります。
永徳寺に残る義昭の墓。
串間市西方の住宅地にある義昭の墓。
墓石には義昭の亡くなった年「嘉吉元年3月13日」が刻まれている。
串間市南方にあるひで神様(義昭の墓)の入口。
金谷小向かいの山にあるひで神様。義昭の墓であると伝わります。
義昭を祀る金谷神社。
足利将軍家の血をひく武将の墓が串間にあることを、地元の人はあまり知らないみたいで、墓には説明版や標注がないので普通の人がたどりつくのは難しいかもしれません。
義昭の最期の地となった串間。行政はもっと史跡整備に力をいれてほしいなと思いました。
行きは串間駅、帰りは福島今町駅まで歩き日南線で油津に帰りました。
暑いなか歩いて疲れましたが、義昭の3つの墓を1日でまわることができてよかったな🤗