串間市大字西方にある櫛間城です。櫛間城は野辺久盛が築いたといわれています。大覚寺義昭事件により野辺氏が串間の領地をおわれると、伊作久逸が城主となりそこから代々島津一族のお城となりました。
1587年豊臣秀吉の九州征伐後の九州仕置きで、筑前秋月より高鍋と串間に国替えとなった秋月種長がこの櫛間城に入りました。1604年に秋月種長は政治の拠点を串間から高鍋に移し廃城となりました。
櫛間城の中心部は上ノ城工場団地になっていて遺構は消滅しています。
櫛間城の工場団地にある公園。
近くには櫛間城の土塁(城塁)らしきものがあります。
櫛間城の堀切。中心部に遺構は残っていませんが、外郭と見られる藪の中には堀切や空堀が残っていました。
北からみる櫛間城の外郭。この山の中に堀切や空堀があります。
西林院の周りにも空堀が巡らされています。