日南市殿所にある中ノ尾砦です。
伊東氏が飫肥城を攻める際に築いた砦でゴウマイガ辻とも呼ばれています。飫肥城の攻防戦では伊東方の陣が置かれた砦の1つでした。1549年飫肥城主島津忠広の軍勢が中ノ尾砦を奇襲し、中ノ尾砦の守将 伊東治部少輔をはじめ300余人の伊東氏の軍勢がここで戦死しています。
2017年2月4日に登って記事に残してなかったので城れぽを遅ればせながらアップします😁
中ノ尾砦の縄張り図。
南側の山頂が本丸で北側は自然地形になっています。
中ノ尾砦の本丸。
本丸北側にある土塁。
帯曲輪から見上げる本丸の曲輪。
本丸周囲を巡る帯曲輪。左は本丸の切岸。
本丸周囲から下がった北側の曲輪を見下ろす。
手前に堀切があります。
本丸の下は土塁を設けて堀切になっています。
北側の尾根を遮断する縦堀。
中ノ尾砦の入口にある中ノ尾供養碑。
中ノ尾供養碑は飫肥城にあった金剛院の僧 朝編が島津氏の意向を受け、中ノ尾砦で戦死した伊東方の武士の霊を慰めるために建立され、国指定史跡にもなっています。