横浜市港南区野庭町にある野庭関城を散策してきました。上の写真は西側の馬洗川越しに見た野庭関城方面。城跡は野庭団地となっております。
野庭関城は和田義盛による築城とされています。戦国時代には小田原北条氏の玉縄城の出城として、玉縄城と笹下城の繋ぎの城の役目をしていました。北条氏の重臣、石巻康保や安藤良整が城主をつとめた城でもあります。
野庭関城は台地構えの城といわれ、中心部は野庭中央公園となり周囲より高くなっています。西側には天然の外堀である馬洗川が流れ深い谷状の地形となっており、南側は深田やみやのくぼの水堀があったとされ、さらにその南側は野庭関城の外郭の切岸の地形になっていて迎陽トンネルまでの道は空堀の名残といわれています。要害堅固な城であったことがわかります。
野庭関城の中心部である野庭中央公園。
野庭関城の本丸跡。
野庭中央公園の北西隅の高くなっている部分が本丸のあった場所といわれています。
本丸跡の頂上。
野庭中央公園の東側の道は堀底道のような地形になっています。
野庭中央公園の西側の道も堀底道のような地形になっていて南側の深田橋につながります。
野庭関城南側の深田橋の交差点付近。
野庭関城の外郭の道。土塁や切岸のような地形に見えます。
迎陽トンネル。
外郭の道は迎陽トンネルまでつながり、空堀を利用した道だそう。
外郭にある浄念寺。
浄念寺には野庭関城から発掘された力石があります。
浄念寺にある力石。
力石の案内板。
関城の文字があります😊
外郭にある野庭御嶽社(野庭神社)
1570年この地の地頭であった臼井氏が建立したとされています。
野庭神社の本殿。
野庭神社の案内板。
野庭関城は野庭団地の造成により遺構は消滅していますが、付近を散策することで地形に名残を見ることができ、広大な城だったことが想像できます😊