ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

烏帽子嶺砦

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日南市大字宮浦にある烏帽子嶺砦に登りました。

烏帽子嶺砦は鵜戸神宮の西、新鵜戸トンネル真上の山にあり、鵜戸街道の七浦七峠の難所の1つ「烏帽子峠」をおさえる砦。1541年飫肥城主 島津忠広が伊東義祐の飫肥侵攻に備えて築きました。

山の形が烏帽子に似ているのが名前の由来です。

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烏帽子嶺砦の縄張り図が無いので、自分で歩いた結果をもとに自作で描いてみました。曲輪の大まかな配置はイメージできると思います。烏帽子嶺砦のすぐ脇(北側)は烏帽子峠があり鵜戸街道が通っています。

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烏帽子嶺砦までの登山ルートです。鵜戸随道の手前を左に上がる道があるのでそこを道なりにいきます。

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この場所に出たら左に曲がります。ここから山に入り鵜戸街道の山道を目指して進みますが、案内標識はなく山の中も荒れていて分かりにくいので尾根筋の鵜戸街道にでるまで大変でした。

鵜戸街道の尾根にでたら左に曲がり、宮浦方面に鵜戸街道を登っていくと烏帽子峠に着きます。

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烏帽子嶺砦の下を通る鵜戸街道。切通になっていて堀底道のような感じです。

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烏帽子嶺砦の下にある烏帽子峠を宮浦方面からみたところ。巨石が砦っぽい。右を登れば烏帽子嶺砦です。

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さらに烏帽子峠をすすんだところ。

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烏帽子峠からの景色。サンメッセ日南を見下ろすことができます🤩

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烏帽子峠を鵜戸方面からみたところ、堀切のような地形になっています。左を上がれば烏帽子嶺砦の曲輪2に上がることができます。

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烏帽子峠から烏帽子嶺砦の曲輪2に上がる城道。砦の東側の段々の曲輪を登るルートもあります。本来の登城道はそちらかな。

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烏帽子嶺砦の東側の曲輪は段々に造成されています。曲輪5から見た曲輪3、曲輪4。f:id:mai9mami:20200328093939j:plain

曲輪3の上から見た段々の曲輪。段々になっているのがわかります。

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曲輪2からみた曲輪4。

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主郭の南東側斜面にある巨石。

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主郭斜面からみた曲輪2。

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曲輪2から見た主郭の斜面。

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山頂の主郭。主郭の大半は藪になっています。

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さらに主郭を進むとアンテナと三角点があり、この付近だけはひらけています。

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烏帽子嶺砦の下を通る鵜戸街道には二重堀のような地形もありました。

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宮浦方面から烏帽子峠に向かう鵜戸街道。烏帽子嶺砦は宮浦方面からも登れます。

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烏帽子峠に向かう鵜戸街道

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ここを登れば烏帽子峠。宮浦方面から登ったほうが傾斜が急です。

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新鵜戸トンネルと烏帽子嶺砦。

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烏帽子嶺砦の位置。

 

島津忠広の飫肥城の出城だった烏帽子嶺砦。

1543年 伊東義祐は七浦七峠の要衝「瀬平峠」にある瀬平ノ城に陣を置き、烏帽子嶺砦を四方の山々から攻め、島津方の下田隠岐守と伊東方の薩摩坊頼運による一騎討ちがあり、薩摩坊は下田隠岐守を組伏せ討ち取りました。
これで勢いに乗った伊東軍は数多くの島津方の兵を討ち取り烏帽子嶺砦は落城。伊東氏は烏帽子嶺砦で生き残った島津の兵40人を捕縛し、このうち20人を敵方の飫肥に返し、残り20人は伊東領(西都市)に連行しましたが乱暴を働いたため10人に腹を切らせたといいます。

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烏帽子峠からは伊東氏が陣取った瀬平ノ城も見えます。ここで両軍睨みあった思うと感慨深いですね。