昔の北郷中学校跡(現在グラウンド)の高台が郷之原城のあった場所と言われ、ネット上には遺構はなし、とあるんですが実は一部残っているんですね。上の写真は郷之原の高台を北郷インター付近から遠望したところ。高台の平らな部分が北郷中学校のあったグラウンドで、その右側にある小山に郷之原城の遺構が残ります。
郷之原城の縄張り図。日南市教育委員会の歴史まちあるきマップより。
北郷中学校跡のグラウンドも郷之原城の範囲になります。ネットに上がっている情報ではここが主郭などの中心的な場所だったといわれますが、歴史まちあるきマップの縄張り図ではグラウンドの後ろの小山が郷之原城の主郭だったとしています。この説をもとに説明していきます😊
郷之原城のあった小山は曲輪が6段で構成され、山頂の主郭までは切岸を登っていく感じでした。曲輪によっては虎口らしき遺構もあります。
北郷中学校跡のグラウンドから見える右奥の小山が郷之原城の主郭があったとされる場所です。(グラウンドに郷之原城の主郭や二郭があったという説もあり)
忠霊塔の裏にある郷之原の小山。忠霊塔裏に登口があります。
郷之原城の登口。ここから登るとすぐに山道が2つに分岐しているので左に曲がると城内に入ります。
登口から城内に入ると空堀のような地形になっています。城内から登口方面をみたところ。
城内に入ると見えてくる曲輪6南側の切岸。
曲輪6西側の切岸。鋭く削られています。
曲輪6西側には虎口らしきものがあり、ここから曲輪6の中に入ります。
曲輪5の切岸。この脇から登ると曲輪5に入ります。
曲輪4の切岸。この脇から登ると曲輪4に入ります。
曲4から見た曲輪3の虎口付近。
曲輪3の虎口。ここを登ると曲輪3内部に入ります。
曲輪3からみた曲輪2の切岸。
曲輪2。奥に見えるのは主郭の切岸。
主郭の切岸。土塁のようにも見えます。
山頂の主郭。主郭は狭いです。
主郭背後の堀切。かなり大規模で迫力があります。
堀切から見る主郭の切岸。かなり高さがあり圧倒されます!
上郷地区から見た郷之原城。
郷之原城は飫肥城の東の守り、酒谷城は飫肥城の西の守りとして、飫肥城の両翼を担った出城。飫肥城主 島津忠広は伊東義祐に備え、家臣の羽島越後守と宇宿小次郎の2名を郷之原城に配置しました。
しかし、1545年 伊東家の家臣 河崎三河守は謀事により羽島を味方に誘い、羽島は諌める弟を斬り殺し、宇宿と共に伊東方の水ノ尾砦(貝殻城)に来て、城を伊東方に渡しました。
郷之原城を登った感想として山の中は藪が醜く、すべての曲輪内が藪化していて城攻めには藪こきが必要で苦労しました😂 それでも立派な堀切が見れたり、遺構が残ってるいるのを確認できてよかったです。
酒谷城と並ぶ出城としては小山の部分だけでは主郭も狭いので、北郷中学校跡のグラウンドも城域とみてよさそうな感じがしました(о´∀`о)