日南市南郷町潟上にある和田城に登りました。
和田城は潟上小学校の裏山にあった山城です。いかにも城跡がありそうな立派な山です。手前を流れるのは潟上川。
和田城の縄張り図。日南市教育委員会の歴史まちあるきマップに縄張り図が無いお城なので、歩いた結果をもとに自作で描きました。
北東、南東、北西に尾根がのびていて、北東と南東には尾根を遮断する堀切がありました。帯曲輪が広いのも印象的でした。
和田城の城攻めルート。和田城の山の中腹にある墓地までは舗装された道があります。墓地の奥から山に入る道があり、そこから尾根を目指し藪こきしながらの山登り。
和田城の登口。山の中腹の墓地まではこの道で上がれます。
墓地の奥から山に入るとこんな藪になっています😁 この藪を掻き分けて登ると北東の尾根に出ます。尾根に出たらあとはまっすぐ上に向かえば城跡に到着できます。
北東の尾根を遮断する堀切。尾根を登っていくと最初に現れる和田城の遺構です🤩
北東の堀切を城内から見下ろす。
堀切から切岸を登っていくと曲輪4に入ります。曲輪4は東西に長い曲輪で西は主郭方面に向かう切岸が3段あり、東端も一段高くなっています。また曲輪4には上写真左手前のような堀らしき溝があります。
曲輪4から見る曲輪3の切岸。左から上がる道があり曲輪3に入ります。
曲輪2の切岸と曲輪3。
曲輪2から見た主郭。
山頂の和田城の主郭。中央にアンテナが立ちます。
主郭の北西隅。山城の遺構かはわかりませんが石があります。
曲輪4から帯曲輪にでる城道。曲輪3切岸から下るとすぐに下の帯曲輪に降りれるこの城道があります。上写真は帯曲輪から城道を撮影。
和田城の南に広がる帯曲輪。
帯曲輪の東のほうに進むと城の遺構らしき地形になっています。
帯曲輪の東には曲輪4の東端に上がる城道があります。
曲輪4の東端の一段高くなっている曲輪。
南東の尾根を遮断する堀切。左の切岸が曲輪4。帯曲輪を東に進むとあります。
帯曲輪を西にいくと主郭の背後にでて北西の尾根にでる道があります。
右が主郭の切岸、左が北西の尾根へ続く道。左は土塁のように少し高くなり、もしかしたら堀切なのかもしれない。
主郭背後の切岸。高さがあります。
和田城の位置。
地元のおじいちゃんたちに山を登る道を聞いたところ、昔子どもの頃は山に登ったことあるけど何十年登ってないから、今は荒れて道がなくなってるからいけないよと言われましたが、無事到達できてよかったです。
和田城があったのはおじいちゃんたちも把握していて、地元の人は「わだん城」と呼んでます。
和田城は南郷でマイナーな城跡なので期待してなかったけど、縄張りがしっかり現存していて遺構もわかりやすく素晴らしい山城でした。
和田城の歴史はわかっていませんが飫肥城の出城だったと言われています。また脇本にある湖雲ヶ城や陣之城と近いことから、薬丸湖雲に関係のある城だった可能性もあります。