日南市南郷町にある伍社神社。1650年 飫肥藩3代藩主 伊東祐久の外浦干拓事業の際にシヲという女性を人柱として埋めたと伝わります。
伊東家はもともと初代藩主 伊東祐兵のときに石高を多くみせていたため財政は苦しく、伊東祐久は税収を増やすために海を埋めて新田開発を行いました。
地元の松田理右衛門により工事は進められましたが、堤防は風波により度々破壊されたことから、潮の満ち引きを司る神 塩土老翁(シオツチノオジ)を合祀しシヲという女性を伍社神社の森に人柱として鎮め祀り松田堤がつくられました。
その後、シヲという女性の霊を慰め親しみを込めて、伍社神社は潮屋権現と呼ばれるようになりました。
外浦湾が埋められる前は、伍社神社のある山も海にポツンと浮かぶ小島だったそう。