福岡県八女市にある福島城に行って来ました。
福島城は柳川城と同じく堀割が街の中に残る城跡です。1587年秀吉の九州仕置きにより八女の領主となった筑紫広門は上蒲池氏の居城だった山下城に入りますが、城下が狭いため福島の地に新たな城を築きます。それが福島城の始まりです。その後、関ヶ原の戦いで西軍についた筑紫広門が改易されると、1602年 田中吉政が筑後一国の国主となり柳川城の支城として福島城を大改築し、三男の田中康政が城主となります。現在残る福島城の遺構はこのときの田中氏の改修によるものです。
福島城の本丸跡の一部は八女公園になっており、本丸北西隅の櫓台が残ります。(上の写真)
外側から見た本丸北西隅の櫓台。
櫓台の石段。
櫓台の石段の横には福島城の城趾碑があります。
櫓台の上には櫓のあった石垣と思われるものがあります。
櫓台からの景色。
八女公園にある福島城本丸の内堀跡。
八女公園にある福島城の縄張りのモニュメント。
福島城の縄張り図。福島城の見所は、田中吉政の大改修時に築かれた、内堀、中堀、外堀の三重の堀割にあります。街の中に残る堀割や福島城跡の名残を探して、本丸以外の部分もくまなく散策してきました😊
福島城の外堀である縄張り図①の八幡堀。福島八幡宮の南側にあります。
福島八幡宮が鎮座する南東の隅櫓の櫓台。櫓台には野面積の石垣が残ります。
北側から見た福島八幡宮が鎮座する南東隅櫓の櫓台。
南東の隅櫓の櫓台に鎮座する福島八幡宮。
縄張り図②の部分の外堀。
縄張り図③の部分の外堀。堺屋の前を流れ奥は左に曲がっています。
縄張り図④の部分の外堀。
縄張り図④のあたりの外堀にかかる橋。橋を渡った右側には筑紫広門が旧領の肥前田代から移した祇園社があります。
④のさらに西に続く外堀。
縄張り図⑤の部分の外堀。外堀が縄張り図どおり曲がっているのがわかります。
縄張り図⑥の部分の外堀。正福寺の角の部分も縄張り図どおり曲がっています。
縄張り図⑦の福島城の西の出入り口にあたる釜屋口(かなやぐち)。右の外堀にかかる橋を渡り、立花地所の左脇の道に曲がるようになっていました。
縄張り図⑧の中堀にかかる無量寿院の石橋。
外堀の内を通る往還道の枡形(縄張り図⑨)。道に折れがあります。
縄張り図⑩の堀江宮。この堀江宮の高台は筑紫広門時代の福島城の本丸があった場所といわれています。
筑紫広門時代の福島城があった堀江宮。
堀江宮にある福島城の案内板。
八女民族資料館にある福島城の復元ジオラマ。
いや〜素晴らしい、ミニ柳川城といったところでしょうか。
福島城は柳川城と同じく田中吉政の改修によるお城なので、柳川城のように堀割が街の中を巡っています。さらに本丸など城の大部分は市街地となり、かろうじて櫓台(柳川城は天守台)が残っているのも共通点かもしれません。福島城のほうの堀割は当時より幅が狭くなり水路になっていますが、歩いて見ると福島城の縄張りの全体像をつかむことができ良かったです。福島城内には昔の街並みも見ることができ散策にはもってこいの街です。城内にある堀江宮と祇園社には田中氏の前の城主 筑紫氏の面影も見ることができました。
福島城の堀散策の際にお世話になったマップです🥰