松尾城は戦国時代に延岡(当時は縣)を治めた縣土持氏の居城です。城の南側には天然の外堀である五ヶ瀬川が流れています。1444年〜1446年にかけて土持宣綱が築城。土持氏は宣綱、全繁、常綱、親栄、親佐、親成の6代 132年間 松尾城主として君臨しました。
松尾城の位置。周辺には土持氏が松尾城に移る前の居城だった井上城、西階城があります。
本丸下にある2020年7月31日に設置されたばかりの松尾城の案内板です😌💓 松尾城の詳しい歴史が書かれていて優れもの!
松尾城の縄張り図。宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より転載。本東寺のある場所も松尾城の曲輪の一部です。本東寺の駐車場脇から松尾城に向かう道があります。
三曲輪の入口。
三曲輪。細長い曲輪で畑として使われていたのか周りは電気が流れているロープが張られています。
三曲輪と二曲輪の間の堀切。
二曲輪の切岸。こうみると高さがあります。
二曲輪。奥には土塁がみえます。
二曲輪と本丸の間の堀切。右の道を登るといよいよ本丸です。
本丸入口脇の切岸。
入口を登ると見える本丸切岸。
本丸の虎口から登ってきた道をふりかえる。城跡らしい雰囲気。
本丸からみた腰曲輪。
松尾城の本丸。
本丸には土持氏の記念碑があります。
松尾城の看板。本丸には松尾城と書かれたものが結構建っていて地元に愛されている城跡だと感じます。
土持氏記念碑。
松尾城主 土持親成のとき島津氏に日向国を追われた伊東氏の領地奪還を大義名分に豊後の大友宗麟が日向に攻めこみます。土持親成は大友氏から島津氏に寝返っていたため松尾城は大友氏の最初の攻撃対象となりました。1578年大友氏の大軍に攻められ松尾城は落城し、土持親成は自刃しています。
城までの登城道は整備されており夏でも登りやすい山城でした。