福岡県筑紫野市大字武蔵にある飯盛城に登ってきました。飯盛城は天判山城の尾根続きの東麓にあり、天判山城の砦として堂ノ山砦とともに武蔵ノ城を構成した標高150mほどの山城です。城主は筑紫広門の家臣 帆足弾正。1586年に島津氏の軍勢に攻められ落城しました。
飯盛城の位置。飯盛城の登口は北東側にありますがわかりずらいです。天拝山からのほうが行きやすいと思います。
北東側からの飯盛城の登口。
登っていくと武者かくしといわれる場所に出ます。
武者かくし。武者かくしとは土塁と土塁の間の凹みに兵が隠れて攻めてきた敵を迎え討つところ。
武者かくしの土塁。
武者かくしからは東側の尾根を登っていきます。
東側尾根の堀切。
飯盛城の主郭の遠望。独立丘陵のような感じになっています。
飯盛城の主郭。北側は少し高くなっています。
主郭の南側切岸。石積みの跡のような岩場が見られます。南側切岸の崖を滑り降りていくと、大規模な南側の堀切があります!
南側尾根の堀切を見下ろす。
南側尾根の堀切。
飯盛城の主郭と西側の天拝山への尾根を分断する大堀切状の地形。
飯盛城の主郭と西側の天拝山の尾根の間にある二重竪堀。
二重竪堀のとこにある飯盛城の案内板。
最後に飯盛城(左)と天拝山城(右)の全景。尾根でつながっているのがわかります。