『嗚呼、壮烈 岩屋城址』
衰退の大友氏に忠義を尽くした高橋紹運。
1586年 岩屋城の戦い
豊臣秀吉の軍勢が来る前に九州制覇を狙う島津氏と、豊臣秀吉が来るまで持ちこたえなければいけない大友氏。
大宰府の岩屋城には大友氏の家臣 高橋紹運が763人の兵で籠り、島津忠長率いる2万〜5万といわれる島津軍を迎え討ちました。
圧倒的な兵力差でも高橋紹運の奮戦により島津軍は撃退され岩屋城は半年持ちこたえましたが、島津忠長の総攻撃で高橋紹運は自害。
岩屋城主 高橋紹運以下763名が全員討ち死にする玉砕。島津軍にも4500人あまりの死傷者が出たといわれています。
岩屋城攻めに時間をかけすぎた島津軍は、豊臣軍が九州に上陸したため撤退。高橋紹運の生死をかけた戦いにより島津氏の九州制覇は夢へと消えました。
案内板。