ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

白糸城(宮崎市有田)

f:id:mai9mami:20210411112649j:plain

宮崎県宮崎市有田にある白糸城です。

島津氏が倉岡城の出城として築きました。大淀川を挟んだ倉岡城の対岸にあります。関ヶ原の戦い後に伊東氏が倉岡城を攻めた際、白糸城は落城しています。

f:id:mai9mami:20210416161406p:plain

白糸城は「宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書」に遺構は不明瞭とあるだけで、ネット上でも情報がまったくない城跡です。なので藪こきして白糸城のあった丘陵を調査。丘陵には2つの曲輪とおぼしき平坦地があり、北側の曲輪Aが高いため主郭と思われます。曲輪Aには土橋らしき遺構があり、曲輪Aと曲輪Bの間には堀らしき窪みもありました。2つの曲輪の西側には帯曲輪らしき平坦地が見られます。

f:id:mai9mami:20210411140738j:plain

曲輪Aの東側切岸の角あたりから曲輪Aに登ります。

f:id:mai9mami:20210411150454j:plain

曲輪Aは二段になっている。

f:id:mai9mami:20210411142830j:plain

曲輪Aの西側から見た東側。一段高くなっている。

f:id:mai9mami:20210411141343j:plain

曲輪Aの一番高い場所。

f:id:mai9mami:20210411141504j:plain

曲輪Aにある土橋らしき遺構。曲輪Aの一番高い場所から続いている。

f:id:mai9mami:20210411145523j:plain

さらに土橋。

f:id:mai9mami:20210411141438j:plain

曲輪A南端。右側は曲輪Aと曲輪Bの間の空堀のような窪み。

f:id:mai9mami:20210411145542j:plain

曲輪Aと曲輪Bの間にある空堀のような窪み。

f:id:mai9mami:20210411145240j:plain

曲輪Bは完全な藪になっている。

f:id:mai9mami:20210411145158j:plain

曲輪Aの西側にある帯曲輪らしき平坦地。

f:id:mai9mami:20210416000533p:plain

倉岡城と白糸城の位置関係。