鹿児島県出水市麓町にある出水城に行ってきました。
出水城は薩州島津氏7代の居城です。山の形が亀に似ていることから亀ヶ城とも呼ばれています。薩州島津氏は島津本家8代久豊の次男、島津用久が初代で出水城を拠点にします。1587年豊臣秀吉の九州征伐の際に島津忠辰(薩州島津氏7代)は島津本家より先に秀吉に降伏し、秀吉は出水城に入っています。1593年朝鮮の役にて忠辰は病と称し渡海を拒んだため秀吉の怒りにふれ薩州島津氏は改易となります。
出水城の縄張り図。出水城は本丸にあたる小松ヶ城、捨殿ヶ城、水夫ヶ城、梅ヶ段、住吉ヶ城、花見城などの曲輪からなるシラス台地を深い空堀で巡らした南九州特有の山城です。
小松ヶ城の切岸。
小松ヶ城と捨殿ヶ城の間の入口。
出水城の小松ヶ城虎口前の枡形のようなスペース。
小松ヶ城の虎口。
小松ヶ城の虎口を曲輪内部から見たところ。
小松ヶ城の曲輪内部。かなり広いですが藪になっています。
本丸で発掘調査中でした。
小松ヶ城南側の土塁。
小松ヶ城東側の切岸から見下ろすとかなりの高さがあります。
捨殿ヶ城の土塁。かなりぶあつい。
捨殿ヶ城の曲輪内部。
梅ヶ段と水夫ヶ城の間の堀切。
水夫ヶ城の腰曲輪。
水夫ヶ城の虎口。
水夫ヶ城の曲輪内部。
梅ヶ段の登口。
梅ヶ段の虎口。
梅ヶ段の曲輪内部。
梅ヶ段東側の土塁。
梅ヶ段の虎口2は空堀のようになっている。
梅ヶ段の虎口2を曲輪内部から見たところ。
梅ヶ段の虎口2の中は左右空堀のようになっている。
梅ヶ段の切岸。
住吉ヶ城と大土居の間の空堀。
住吉ヶ城の虎口。
住吉ヶ城の曲輪内部。
住吉ヶ城東側の土塁。
曲輪Gと住吉ヶ城の間の堀切。
曲輪Eの登口。
曲輪Eの虎口。
曲輪E内部。
住吉ヶ城と曲輪Eの間の堀切。
城山墓地公園。
城山墓地公園にある城山の標柱。
城山墓地公園からの景色。
出水麓から見た出水城の城山。
出水麓歴史館にある出水城の復元ジオラマ。
出水城の位置。
竹添邸で販売してる出水城の城郭符。