宮崎県串間市一氏にある今城に行ってきました。
今城は『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書』によると、揚原集落の北西1.5㌔の丘陵端部にあり、現在は畑地となり遺構は不明瞭と記載があります。
誰が城主だったのか歴史的な詳細もまったくわかっていない謎の城跡です。
上写真は県道34号 都城串間線から見た今城の丘陵。
今城の位置。JR日南線の日向大束駅の北西にあります。
今城の地形図。こうやって見てみると城跡のような曲輪配置になっています。実際に現地に行ってみると今城のあった丘陵は大部分が畑地で、どこまでが昔の地形なのかはわかりませんが、今城の曲輪を畑地として利用したと考えると、南から北に段々高くなっています。丘陵の最も高いAの曲輪やその一段下にあるBの曲輪は、畑が放置され藪になっていました。
南側から見た今城の丘陵。
今城の丘陵の登り口。(地形図Gのあたり)
今城の登り道。
地形図Fのあたり。
地形図Eのあたり。
地形図Fから見たDの切岸。
地形図Dのあたり。
地形図Dのあたり。
地形図Cのあたり。曲輪が段々となり城跡らしい雰囲気が残ります。
地形図Bのあたり。元は畑だった場所がこの通り荒れています。
地形図Aのあたり。ここもすごい藪になっています。
地形図Hのあたりには土塁らしきものが見られますが、ここまで今城の城域だったのかはわかりません。
Hの地点にある土塁らしきもの。
今城の丘陵の南側に広がる畑地。