南宮崎の野崎病院が建つ丘陵には戦国時代に伊東四十八城の1つ曽井城がありました。曽井城は南北朝時代に伊東氏一族の曽井氏により築かれ、伊東四十八城時代には伊東氏家臣の八代民部左衛門尉が城主でした。1587年豊臣秀吉の九州征伐の先導役をした功により伊東祐兵が曽井、清武の領地をもらい、伊東氏は大名として復活。伊東祐兵が飫肥城に移るまで拠点としたのがこの曽井城であり、縄張りはあの軍師!黒田官兵衛が総指揮をとり改修したことで知られています。
そんな隠れた名城である曽井城には何回か訪れていますが、今回は新しく設置されたばかりの曽井城の説明板目当てでやって来ました。上写真は曽井城の丘陵で、手前を流れるのは天然の外堀である古城川です。
野崎病院の本館正面駐車場脇に今年設置された曽井城の説明板。
曽井城の説明板😍
思った以上に詳しく、わかりやすく説明されていてびっくり。説明板を作成した赤江地域まちづくり推進委員会に👏
説明板にある曽井城の縄張り図を見ると、登城路、殿様の池、堀跡など城跡の名残が残っていることにびっくりしました。
野崎病院西館が建つ曽井城の本丸跡。
野崎病院南側にある曽井城の曲輪。
野崎病院敷地北東端に残る分厚い土塁らしきもの。
北東の登城路。
曽井公民館裏に残る登城路。
野崎病院敷地から見下ろす登城路。
曽井公民館裏の登城路近くにある殿様の池。
殿様の池。
曽井公民館脇にある曽井稲荷神社。
北東にある堀跡。
曽井城からの景色。源藤交差点方面が見える。
野崎病院近くにある薬局に「曽井城下」の文字があり高まります。
野崎病院の本館正面駐車場への登り道。
南側から見た曽井城の丘陵。
曽井城の位置。
宮崎市の城ヶ崎という地名は曽井城の前(さき)という意味だそうで、赤江港があった城ヶ崎は江戸時代賑わっていたそうです。