宮崎県東諸県綾町入野にある垂水城です。伊東氏の家老で綾の地頭だった垂水氏の居城でした。1510年綾の乱で垂水城主 垂水但馬守祐元は同じく綾の地頭だった綾城主 長倉若狭守祐正とともに綾城に籠もりますが、主君の伊東尹祐に攻められ綾城で垂水氏、長倉氏の両氏は切腹し滅亡しています。
垂水城の縄張り図。(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より転載)
垂水城の山頂の主郭。南側は電波塔があり整備されていて車で山頂まで登れます。
主郭の北側。藪化しています。昔公園だった痕跡が残っていました。
主郭北側にある垂水城の立派な石碑。
主郭北東に残る土塁。
同じく主郭北東の土塁。
主郭北側の一段下にある腰曲輪。
山頂にある垂水城の説明板。
垂水城の位置。