宮崎県えびの市大河平にある大河平(おこびら)城に行ってきました。大河平城は大河平氏の最初の居城です。大河平氏は肥後の菊池氏一族である八代氏が始まりで、八代氏12代当主 八代隆屋の時に菊池本家が大友氏により攻められ、八代隆屋は真幸院(現えびの市)の北原氏を頼り八代(熊本県八代市)から大河平郷に移住。姓を八代から大河平に変えています。北原氏が没落すると大河平氏は島津義弘に誼を通じます。
1562年伊東義祐が450人の兵で大河平城を攻めた際は隆屋の孫である大河平隆利が少ない兵で伊東軍を撃退しています。大河平城は守りの堅い城でなかったため、後に島津義弘のすすめで谷を挟んだ向かいに今城を築いて大河平氏は居城を移します。上写真の奥に見える鉄塔のある山が大河平城。
大河平城の縄張り図。(えびの市の城館跡より転載して加筆)
大河平神社のある曲輪⑤が主郭といわれ、西の曲輪は段により①〜④の区画になっています。鉄塔先の西の尾根先端にある曲輪⑥は見晴台といわれています。
大河平城の登り口。大河平神社に続いています。
大河平城までの道。山全体竹林になってます。
大河平神社の西側の曲輪。
大河平神社の西側の曲輪にある虎口と切岸。虎口は後世の改変かもしれません。
①の南側の切岸。
①の西縁にある土塁らしきもの。
大河平神社西側の曲輪内部。
③から見た①の段差。
①から見た③。
②から見た④の段差。
②の西縁にある土塁。
④にある鉄塔。
見晴台といわれる曲輪⑥。西に伸びる尾根先端にあります。
曲輪⑤。
曲輪⑤にある大河平神社。
大河平神社。
曲輪⑤から見た大河平神社西側の曲輪。
曲輪⑤の切岸。
曲輪⑤の北側に点在する土塁。
大河平城からの景色。
大河平神社西側の曲輪の南は谷または深い堀のような地形になっています。
大河平城と今城の位置。