宮崎県えびの市大河平にある播磨ヶ城です。播磨ヶ城は島津義弘の家臣 黒木播磨守実利の居城です。黒木実利は島津義弘の飯野城入りに付き従った60人の1人で、桶平城の合戦や木崎原の戦いで功績を残しています。島津義弘は飯野城から大河平城の間の要衝に、城を築くよう黒木実利に命じ、そのまま城主としています。それが播磨ヶ城で城名は黒木実利の受領名である「播磨守(はりまのかみ)」が由来です。島津義弘が飯野城から栗野城に移ったあとも、黒木実利は飯野に残ります。
播磨ヶ城の縄張り図。(えびの市の城館跡より転載して加筆)
主郭は畑になっており鹿よけ柵に囲われています。縄張り図では主郭からのびる2つの尾根に堀切がありますが、北側の尾根は広域農道により消失し、南側の尾根にのみ堀切は残ります。南側尾根の堀切を挟んだ先には物見郭のような小さい曲輪があります。
北側から見た主郭。
播磨ヶ城の主郭。
南側尾根の堀切。
南側尾根の堀切。
堀切先にある物見郭のような曲輪。
堀切近くにある虎口状の地形。
物見郭のような曲輪の切岸。
主郭西側の緩い斜面。
主郭南側は崖になっている。
広域農道で一部消失している北側尾根あたり。
播磨ヶ城の位置。