鹿児島県伊佐市大口里にある大口城に行ってきました。大口城は菱刈氏の島津氏に対する最後の抵抗拠点となった山城です。現在ある遺構は菱刈氏没落後に城主となった新納忠元により整備されたものと思われます。1587年の豊臣秀吉の九州征伐では新納忠元は最後まで抵抗し、大口城に籠城して豊臣軍を迎え討つ姿勢をみせますが、主君の島津義久に諭され降伏しています。上写真は水の手口から見た大口城の城山。
大口城の縄張り図。大口小学校の裏山が大口城のある城山です。城山は地元の方により整備され曲輪がはっきりわかります。遺構がかなり確認しやすい山城でした。これも地元の有志の方の賜物でしょう。
地頭仮屋があった大口小学校の校門脇に大口城址の標柱があります。
大口小学校と背後の城山。小学校の側から城山に登ります。
大手口。
大手口から見た③と①の間の空堀。空堀は通路として利用されています。
③と①の間の空堀。
大手口付近の大空堀。
①主郭から見下ろした大手口付近の大空堀。
①主郭。右側は高い土塁がめぐります。
①主郭の土塁上から見たところ。
①主郭の土塁上に鎮座する秋葉神社。
①主郭の土塁上にある城山の三角点。眺めがよいことから櫓台があったものと想定されます。
①主郭と曲輪②の間にある堀切。
曲輪②。左側は土塁がめぐり高くなっています。
曲輪②の土塁。
曲輪②から見た曲輪③。
曲輪③の虎口。
曲輪③。右側は土塁がめぐります。
虎口脇にある曲輪③の土塁。
③と④の間にある窪み。曲輪を仕切るためのものと思われます。
曲輪④。
曲輪④をめぐる土塁。
④から見た③。城山の頂上は南北に広く、山の上にこんな広大なスペースがあることにびっくりします。③と④の曲輪は馬場として使われていたのでしょう。
⑤展望台からの眺め。
西側から見た大口城の城山。横に長いのがわかると思います。
大口城の位置。