鹿児島県霧島市国分中央にある舞鶴城です。1604年に島津義久が築いて富隈城から移り住んだ城で、国分城とも呼ばれています。島津義久は1611年舞鶴城で79歳の生涯を閉じています。現在は国分小学校、国分高校の敷地となり、石垣と水堀が残ります。
朱門。
現存する舞鶴城の朱門。
朱門から見下ろす水堀。
本丸にある国分小学校。
国分小学校南側にある石垣と水堀。
石垣。
南側の石垣と水堀。長く続きます。
南側の石垣。
島津義久公伊呂波歌のモニュメント。
島津義久公辞世の句碑。
国分高校南側にある石垣と水堀。
国分高校南側の石垣と水堀。
国分高校。
国分小学校から見た舞鶴城の詰めの山城、隼人城の城山。
舞鶴城の説明碑。
舞鶴城の位置。