ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

塚崎城(佐賀県武雄市)

佐賀県武雄市武雄町にある塚崎城です。武雄領主 後藤氏の居城で武雄城とも呼ばれています。戦国時代には後藤貴明の居城でした。江戸時代に入ると武雄鍋島氏の居城となります。本丸、二の丸、三の丸は武雄高校の敷地になり、本丸の高台の一部に塚崎城跡の城址碑があります。城の遺構として立派な石門が残ります。

塚崎城の石門。

塚崎城の石門。

石門の説明板。

塚崎城の本丸の一部。

城址碑。

塚崎城の二の丸、三の丸方面。

塚崎城の位置。

後藤貴明ゆかりの史跡(佐賀県武雄市)

佐賀県武雄市にある後藤貴明ゆかりの史跡を散策してきました😊

光明寺にある後藤貴明夫妻の墓。

光明寺の山門。光明寺は後藤貴明の隠居した館があった場所になります。

光明寺

後藤貴明が開基した貴明寺。

貴明寺の本堂。

後藤貴明公の木像。貴明公の死後、戦国時代に彫られた貴重な木像を住職に見せていただき感動しました😍

後藤貴明公木像の修復前の写真も飾られてました。

説明板。

後藤貴明は1534年に長崎県大村市を本拠とする大村純前の子として大村に生まれますが、大村氏は有馬氏から純忠を養子にもらっていたため、貴明は武雄の後藤氏に養子に出されます。純忠は日本最初のキリシタン大名となる大村純忠で、後藤貴明は生涯、大村氏を恨み長崎にたびたび攻め入りました。

1560年、後藤貴明は実子がいなかかったため平戸の松浦隆信から惟明を養子にもらいますが、のちに実子である晴明が産まれたため1574年に惟明が反乱を起こし、後藤貴明は佐賀の龍造寺隆信の援軍を得て、惟明を破りました。

その後、龍造寺隆信と和議を繰り返しながら離反し何度か戦いますが、最後は隆信の圧力に屈し、隆信の三男家信を養子に迎え入れ、後藤氏は龍造寺氏の傘下になります。後藤家信に家督を譲った後藤貴明は現在光明寺のある場所に隠居し、1583年に50歳で亡くなっています。

菊池経直の墓(菊池5代)

佐賀県武雄市橘町の潮見神社近くにある菊池経直公の墓です。なぜ菊池経直の墓が武雄にあるかというと、肥前杵島郡長島庄の荘管だったそうで、1186年潮見神社の笠懸神事(流鏑馬)の際に落馬して亡くなったことによります。墓は潮見神社参道沿いの家の裏山にあり、初めて行く方には分かりにくい場所かもしれません。

菊池経直公夫妻の墓石。

菊池経直公の墓の周りには小さな墓石がたくさん並んでいます。

潮見神社入口にある菊池経直公墓域参道入口の石碑。

流鏑馬が行われたと思われる潮見神社の参道。

榎津城(福岡県大川市)

福岡県大川市榎津にある榎津城です。城山公園となっており遺構はありません。榎津城は筑後川河口を守る城で、龍造寺氏の家臣 中野少輔清明が城主でした。田中吉政柳川城主になると榎津城はその支城となります。

城山公園の説明板。

藩境の町並み案内図には榎津城跡の記載があります。

榎津城の位置。

津村城(福岡県大川市)

福岡県大川市津にある筑後津村城です。大友配下の津村氏の居城で、津村大助秀門が城主のとき龍造寺隆信に攻められ滅亡したといわれています。八幡神社のあたりが二の丸だそうです。 

二の丸付近にある八幡神社

八幡神社の本殿。

八幡神社前の水路。

八幡神社南側にある堀割。

八幡神社南側にある堀割。

堀割を逆方向から。

津村城の本丸跡付近。

津村城の説明板があった場所。いまは無くなっています。

津村城の位置。

酒見城(福岡県大川市)

福岡県大川市酒見にある酒見城です。城跡には酒見納骨堂があり説明板が建っています。城がいつの時代に築かれたかわかりませんが南北朝時代に菊池武安が酒見城を攻めた記録や1580年に龍造寺隆信が酒見に城を築き鍋島直茂に守られせた記録があるそうです。1587年には柳川城に入った立花宗茂重臣 由布美作が城主となりました。

酒見城の説明板。

集団墓地の周囲には水路がありますが水堀の名残かはわかりません。

周囲にのこる水路。

酒見城の位置。