ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

松延城

福岡県みやま市瀬高町松田にある松延城です。 上写真は筑紫平野の田んぼの中に残る松延城の本丸跡。周囲の低い田んぼは本丸を囲む内堀の跡です。本丸の周囲は平城の雰囲気がよく残されています 松延城の地図。地図に移る水路は松延城の水堀の跡で、この水路…

福島城

福岡県八女市にある福島城に行って来ました。 福島城は柳川城と同じく堀割が街の中に残る城跡です。1587年秀吉の九州仕置きにより八女の領主となった筑紫広門は上蒲池氏の居城だった山下城に入りますが、城下が狭いため福島の地に新たな城を築きます。それが…

ボニートボニートレッスン@油津Yotten

カツオレッスンはドキドキモーニング。 後半はマンゴー味噌の歌のレコーディングでした😊

海野藤十郎の墓

日南市東郷の福谷地区には伊東祐兵の家臣 海野藤十郎の墓があります。 戦国時代に現在の宮崎県の大部分を領して伊東氏の全盛を築いた日向国主 伊東義祐。 1572年 木崎原の戦いで伊東義祐は島津氏に大敗し伊東48城の一部の家臣団が次々に島津氏に寝返り、国を…

タネボーコミュニティデイ

タネボー100% 1匹、0% 1匹。 色違い13匹で、そのうち1匹は91%でした🥰

笹山城(横浜市港南区)

横浜市港南区日限山にある笹山城を散策してきました。2本の鉄塔の立つ場所が笹山城跡です。現在笹山城のあった山には駐車場やマンションが建ち遺構は消滅しています。開発工事の際に山から井戸跡が発見されたそうです。 笹山城は玉縄城の支城と伝えられ、野…

伊東義祐と稲荷山(宮崎市)

宮崎市月見ケ丘にある稲荷山公園。 『今日ぞ見る 稲荷の山の紅葉の 青かりし色は松の村立』 1561年秋、宮崎から飫肥城攻めに向かう道中、赤江の町から稲荷山を見た伊東義祐が詠んだ詩です。伊東義祐が西都の都於郡城から鵜戸街道を南下し赤江に入った時に目…

ボニートボニートレッスン@油津Yotten

久しぶりに全員揃ったカツオレッスン。 めいめいが足の指骨折しながらも参加。

飫肥城(日南市飫肥)

日南市飫肥にある飫肥城。飫肥藩主伊東家5万1千石の居城です。戦国時代にはこの飫肥城をめぐり島津氏と伊東氏の争奪戦が繰り広げられました。 岡本氏が作成した飫肥城の縄張り図を転載。飫肥城はシラス台地を深い空堀で区画して独立した丘陵(曲輪)を造り出…

伊東祐実と油津堀川運河

日南市楠原の報恩寺跡伊東墓地にある飫肥藩5代藩主 伊東祐実の墓。 飫肥藩5代藩主 伊東祐実は薩摩藩との境界争いである牛の峠論山の勝訴、油津堀川運河の開削、日向灘沖大地震の被害を受けた飫肥城の大改修など多くの功績を残しています。洞林(どうりん)公…

ボニートボニートレッスン@油津Yotten

検温してから始まるカツオレッスン。 のあ、みゆ、めい、あいり、みさと、ふうか。 ふうかちゃんは怪我の為、見学です。 今日からド・キ・ド・キ☆モーニングを練習開始🤩

伊東祐国の供養塔

飫肥城の北にある東楽寺跡近くには1485年の飫肥城攻めで戦死した伊東祐国(すけくに)の供養塔があります。 伊東祐国は西都の都於郡城主で伊東氏12代当主。 飫肥城主 新納忠続と櫛間城主 伊作久逸が島津家臣同士でありながら仲間割れ。 伊作久逸は伊東氏に援…

ボニートボニートレッスン@油津Yotten

4月9日以来、コロナの影響で休みになっていたカツオレッスンが約1ヶ月ぶりに再開。 今日は あいり、みさとの2名。

伍社神社

日南市南郷町にある伍社神社。1650年 飫肥藩3代藩主 伊東祐久の外浦干拓事業の際にシヲという女性を人柱として埋めたと伝わります。 伊東家はもともと初代藩主 伊東祐兵のときに石高を多くみせていたため財政は苦しく、伊東祐久は税収を増やすために海を埋め…

松山城

鹿児島県志布志市松山町新橋にある松山城に行ってきました。 松山城は本丸、二ノ丸、五兵衛城、八幡城の4つの区画に分かれていたと言われていますが、現存しているのは二ノ丸のみ。 島津豊州家と肝付氏が大隅の覇権を巡る争いをしている中で、飫肥城主 島津…

ベロリンガ100

カントージェネレーションチャレンジ。 朝6時のベロリンガをリモートレイド。ベロリンガは806だよな、と思ってたら806きたわ😳 念願のベロリンガ100%捕れて最高のイベントになりました🥰

伊東平右衛門の墓

日南市南郷町贄波の海岸近くに伊東平右衛門祐続の墓があります。 伊東平右衛門は飫肥城主 伊東祐兵の家臣でしたが、長倉甚兵衛、川崎又右衛門らとともに、伊東義賢(祐兵の兄の子)こそ伊東家の嫡流であり、飫肥の領主は祐兵ではなく義賢がふさわしいと思う…

外浦砲台跡

日南市南郷町贄波にある外浦砲台跡。 外浦砲台は1863年 飫肥藩主 伊東祐相が外国船の脅威に備えるため沿岸の警固として築いた台場です。3つの砲台が設置されました。 贄波海岸にあり贄波バス停にある土塁が外浦砲台の跡です。土塁の上にある木には南郷のジャ…