今日の朝、たまたま新聞見たら、「島原の乱」の舞台「原城*1」の発掘調査の写真が出ていました。
今回の発掘調査によれば島原の乱*2で全滅した天草四郎の一揆軍の人骨が大量に出てきて、死体は埋葬されずに戦が終わって、そのままの状況で城ごと幕府が石垣や土で埋めたという珍しいケースだったというのがわかったそうです・・・。原城の遺構もかなり石垣とか発掘されたようで興味深いデスマスヽ(・∀・)ノあと、一揆軍が立て篭もった原城が廃城になった後もきちんと破却*3されておらず堅固で城の機能を保っていたということもわかり興味がありますよ〜〜。
長くなりますがもうひとつ語ると島原の乱の原因の島原藩主の松倉勝家は斬首。徳川幕府の言い分によれば、松倉勝家のキリシタン弾圧などの悪政が原因とし大名では珍しい斬首になっていますが、ウチの考えでは、5層の立派な天守閣をもつ島原城を築いた松倉氏を改易するための徳川幕府の言いがかりだと思います。松倉氏はキリシタン弾圧を幕命に従って行っていただけであり、徳川幕府の陰謀は怖いですね(´・ω・`)
以上、ヾ(^◇^ )マイナーな話でした。