ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

原城跡の発掘調査の記事

今日の朝、たまたま新聞見たら、「島原の乱」の舞台「原城*1」の発掘調査の写真が出ていました。
今回の発掘調査によれば島原の乱*2で全滅した天草四郎一揆軍の人骨が大量に出てきて、死体は埋葬されずに戦が終わって、そのままの状況で城ごと幕府が石垣や土で埋めたという珍しいケースだったというのがわかったそうです・・・。原城の遺構もかなり石垣とか発掘されたようで興味深いデスマスヽ(・∀・)ノあと、一揆軍が立て篭もった原城が廃城になった後もきちんと破却*3されておらず堅固で城の機能を保っていたということもわかり興味がありますよ〜〜。
長くなりますがもうひとつ語ると島原の乱の原因の島原藩主の松倉勝家は斬首。徳川幕府の言い分によれば、松倉勝家キリシタン弾圧などの悪政が原因とし大名では珍しい斬首になっていますが、ウチの考えでは、5層の立派な天守閣をもつ島原城を築いた松倉氏を改易するための徳川幕府の言いがかりだと思います。松倉氏はキリシタン弾圧を幕命に従って行っていただけであり、徳川幕府の陰謀は怖いですね(´・ω・`)
以上、ヾ(^◇^ )マイナーな話でした。

*1:原城は戦国時代に有馬氏が本城の日野江城の支城として築いたお城で、後に一国一城令により原城は廃城

*2:島原の乱は、島原城主の松倉氏の悪政やキリシタン弾圧により起こった一揆幕府軍により一揆軍は皆殺しにされる。

*3:使われない城の石垣や土塁を破壊して再利用できないようにすること