ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

宇喜多秀家の潜居跡(鹿児島県垂水市)

鹿児島県垂水市牛根にある宇喜多秀家公の潜居地に行ってきました。

宇喜多秀家は豊臣政権の5大老備前国 岡山城主。妻は前田利家の娘 豪姫です。1600年関ヶ原の戦いにて西軍の副将として石田三成とともに徳川家康と戦った宇喜多秀家関ヶ原の敗戦後は命からがら落ち延び、大坂より船にて島津氏を頼り鹿児島へ。当時、鹿児島県垂水市牛根を治めていた豪族、平野家に匿われることになりました。平野家の屋敷は下屋敷上屋敷に分かれています。上屋敷宇喜多秀家公が暮らしたことから宇喜多屋敷とも呼ばれていました。上写真は平野家上屋敷のあった丘陵。

平野家屋敷配置図。上屋敷は山の上にあります。

説明板から平野家上屋敷への道。

上屋敷は山登り。

宇喜多秀家公潜居跡の祠。

秀家公が城主だった岡山城の石垣。

秀家公が晩年を過ごした八丈島の秀家公お手植えの株分けソテツ。

平野家上屋敷へは祠からさらに急峻な山道を登ります。

平野ヶ原と呼ばれる平野家上屋敷跡。

平野家上屋敷跡の平野ヶ原展望所。

平野ヶ原展望所からの眺望。桜島が見えます。

道の駅たるみずの観光案内板より。

宇喜多秀家公は平野家上屋敷で生活していた間、毎日麓の七人塚、3キロ離れた居世神社を参拝するのが日課だったそうです。毎日この山道を宇喜多秀家公が往復していたと思うと感慨深いですね🥰

 

続いては錦江湾沿いにある平野家下屋敷跡。

平野家下屋敷跡。下屋敷跡には平野家のご子孫様が今も住んでおられます。

平野家下屋敷跡。

平野家下屋敷跡にある説明板。

平野家下屋敷跡の遠望。

宇喜多秀家公の潜居跡説明板。

1600年から2年3ヶ月の間、宇喜多秀家はこの牛根の地で過ごしています。