東京都大田区蒲田にある六郷殿館です。
六郷殿館は上杉憲幸、氏幸 父子の居館といわれていますが、六郷殿は小田原北条氏の家臣であった蒲田氏という説もあり、六郷殿館の詳細な歴史はわかっていません。また、館の位置についても青巒寺と蒲田小学校が推定地というだけで正確な所在地は分かっていない。
天然の外堀であったと思われる呑川越しに見た蒲田小学校。
青巒寺と蒲田小学校付近が六郷殿館のあった場所と推定されています。
六郷殿館の位置。蒲田駅から近くラーメン大を食べがてら訪れることができます😊
東京都大田区蒲田にある円頓寺には、戦国時代の蒲田の武将 行方弾正直清の墓があります。行方弾正直清は小田原北条氏の家臣で1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の合戦において戦死しました。行方弾正直清の弟 日藝は兄の菩提を弔うため、行方弾正直清の館に円頓寺を中興開基しました。
行方弾正直清の墓は日藝により築かれたました。左から2番目の「性光院」と刻まれた小さい墓石が行方弾正直清の墓で、その右隣の宝篋印塔は行方弾正の弟である日藝の墓石になります。
行方弾正直清の館があった円頓寺。
京急蒲田駅近くにある行方弾正直清と弾正橋の由来についての説明版です。行方弾正直清の館の様子も描かれています。
行方弾正直清が由来の弾正橋。
江戸蒲田氏の蒲田重武の宝篋印塔がある川崎市の円真寺に行って来ました。
江戸氏の支流、江戸蒲田氏は「六郷殿」と呼ばれ、戦国時代に小田原北条氏の家臣として現在の蒲田(東京都大田区)付近を領し活躍したそうです。
蒲田重武は小田原北条氏滅亡後、土井利勝に仕え子孫は相馬中村藩につづいてます。重武の妻は同じく小田原北条氏に使え、現在の大井町付近に館があった梶原景信の娘といわれています。
宝篋印塔は蒲田重武夫妻、蒲田氏先祖の供養のため寛永17年に建立されたものだそうです。
宝篋印塔には蒲田重武の法号「蓮忠」と妻の法号「妙蓮」が刻まれています。
円真寺は「円経院」という寺名から始まり、後に蒲田所左衛門忠義(蒲田重武の隠居名)が円真寺として開基しました。寺号の「蓮忠山」は蒲田重武の法号からきています。
ラゾーナ川崎から歩いて近い場所にあるので、気軽に戦国武将の墓が散策できる歴史スポットとしておすすめです😌
にちなん夜市に向けてのカツオレッスン。後半は新しいMCの練習を入念にしてました。かなり面白いものになってたのでイベントでの御披露目が楽しみです。ちなみにこの日は新しいボニボニの衣装でのレッスンでした🤩
あと、今日スーツにセッタスタイルでレッスン見に行ったら、めい、みゆ、のあがMC練習中に気がついて、「れろさんの靴が!」とざわざわ🤣🤣🤣🤣