ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

城攻め

大木城(福岡県みやま市瀬高町)

福岡県みやま市瀬高町大廣園にある大木城に行ってきました。大木城は宇都宮一族の大木氏の居城です。筑後宇都宮氏の宇都宮久憲が柳川の蒲池氏を継ぐと久憲の弟 宇都宮資綱の嫡男 政長は大木城を再興し大木氏の祖となります。現在は本丸のあった場所に城址碑…

比企能員邸跡(神奈川県鎌倉市)

神奈川県鎌倉市の比企谷(ひきがやつ)にある比企能員邸跡に行ってきました。源頼家のときに北条氏と比企氏の覇権争いが起こり比企能員は北条時政に討たれ、比企能員邸も北条氏の軍勢に攻められ比企一族は滅亡しました。(比企能員の乱) 比企能員邸跡には比…

隼人城(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市国分上小川にある隼人城に行ってきました。現在は城山公園となっています。隼人城は南北朝時代の税所氏の出城です。1604年島津義久が舞鶴城を築いて富隈城から居城を移した際は舞鶴城の詰城になりました。城の遺構として搦手門跡が残ります。…

舞鶴城(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市国分中央にある舞鶴城です。1604年に島津義久が築いて富隈城から移り住んだ城で、国分城とも呼ばれています。島津義久は1611年舞鶴城で79歳の生涯を閉じています。現在は国分小学校、国分高校の敷地となり、石垣と水堀が残ります。 朱門。 現…

富隈城(鹿児島県霧島市)

島津義久が舞鶴城に移るまでの10年間居城とした富隈城です。野面積みの大きな石垣が住宅地に残ります。島津義久は豊臣秀吉の九州征伐で降伏したあと富隈城で隠居し、庄内の乱や関ヶ原の戦いの際もここにいました。関ヶ原から島津義弘が帰国すると、義久はこ…

亀尾城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市七城町亀尾にある亀尾城です。菊池十八外城の1つで、鎌倉時代にこの地に入った相良氏の一族が板井氏と名乗り亀尾城の城主になりました。この頃は板井城と呼ばれています。南北朝時代には今川了俊が菊池氏を攻め、この城を奪取し2年ほど拠点とし…

戸崎城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市今にある戸崎城です。菊池十八外城の1つで鹿島氏代々の居城でした。 戸崎城の地形図。 本丸にある古墳状の土壇。 古墳状の土壇。 土壇の上の本丸。立派な城址碑があります。 戸崎城の城址碑。 土壇から見下ろす腰曲輪。 物見の高台の切岸。 物見…

熊入城(熊本県山鹿市)

熊本県山鹿市熊入町にある熊入城です。熊入温泉センターの説明板で存在を知った城跡で、温泉入ってから攻めてきました 熊入城は菊池12代菊池武時の家臣 八幡弥四郎宗安の居城。菊池武時が探題北条英時を攻めた際、大友貞宗の館に使いとして八幡弥四郎宗安を…

台城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市七城町台にある台(うてな)城です。台城は台台地の突端部に築かれた菊池十八外城の1つ。城主は決まっておらず交代制でした。1375年大軍で攻め込んだ今川了俊の軍勢を13歳の菊池17代菊池武朝(加賀丸)は台城にて少数の軍勢で撃退しています。(…

正光寺城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市七城町加恵にある正光寺城です。菊池十八外城の1つで加恵氏代々の居城でした。加恵氏は菊池8代 菊池能隆の子 隆時が加恵氏を名乗ったのが始まりです。 遺構は平城のため残っていません。昔は城跡に古墳の塚があったそうですが、田圃整備により消…

神尾城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市七城町水次にある神尾城です。菊池十八外城の1つで城主は水次氏でした。神尾城は丘陵末端の古墳を利用して築かれた城です。上写真は神尾城のあった丘陵。丘陵には住宅地が立ち並び、城跡にたどり着くのに少し迷いました 神尾城跡の案内看板。 神…

城林城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市木庭にある城林城です。菊池十八外城の1つで城氏代々の居城でした。菊池一族の城武顕の築城といわれ、止林城、木庭城とも呼ばれています。 山頂の本丸。 本丸にある楠。 本丸にある城林城跡の城址碑。 本丸の入口。 本丸への道。 本丸下西側の曲…

隈府城(熊本県菊池市)

中世の熊本を治めた菊池一族の本拠地、隈府城。菊池氏の頃は菊池本城や守山城と呼ばれていました。戦国時代に菊池氏が衰退すると菊池一族の赤星統家や隈部親永の居城となりました。上写真は菊池本城の本丸があった城山を麓から見たところ。 隈府城の地形図。…

内裏尾(熊本県菊池市)

菊池本城の裏山にある内裏尾と呼ばれる懐良親王の御所です。懐良親王を迎えるために菊池武光が築いたものといわれています。 内裏尾の曲輪入口。 山頂の懐良親王と良成親王の御在所跡。 雲上宮。 雲上宮背後の切岸。 内裏尾の説明板。 内裏尾の麓にある親王…

菊之池城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市北宮にある菊之池城です。太宰府の役人だった藤原則隆がこの地に移り住み館を構えた場所で、別名深川館とも呼ばれています。則隆は後に地名である菊池を名乗り菊池氏初代となります。1373年に菊池16代菊池武政が本拠地を菊池本城に移すまで菊池…

赤星有隆屋敷(熊本県菊池市)

熊本県菊池市赤星にある赤星有隆屋敷です。菊池氏10代菊池武房の弟 赤星有隆の屋敷があった場所といわれています。屋敷は赤星集落内にあり、この地が菊池三家老となる赤星氏の発祥の地です。赤星有隆は1274年の文永の役で福岡の赤坂まで攻め込んだ元軍を兄の…

古池城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市出田にある菊池十八外城の1つ古池城です。菊池郡の南部に位置し合志方面に備える出城でした。城主は出田氏で菊池氏3代菊池経頼の孫 経信が菊池郡出田村を領し、出田氏を名乗ったのが始まりです。室町時代に熊本城の前身となる千葉城を築いたのは…

増永城(熊本県菊池市)

熊本県菊池市七城町砂田にある増永城です。西郷地区にあった平城で現在は住宅街の中に城跡があります。増永城は菊池十八外城の1つで、城主は西郷氏でした。西郷氏は菊池氏初代菊池則隆の子 政隆が西郷を領し、増永城を築き西郷政隆と名乗ったのが始まりです…

泉城(宮崎県西都市岩爪)

宮崎県西都市岩爪にある泉城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。現在は畑地になっています。城域などは不明。 泉城の位置。

東ノ城(宮崎県西都市鹿野田)

宮崎県西都市鹿野田にある東ノ城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。丘陵全体竹藪の山ですが、丘陵の北東部分は地籍調査で竹が刈られており上まで登れました。 東ノ城の地形図。虎口らしき遺構と土塁が確認できます。 東ノ城の標柱。 東ノ城の登り道…

前ノ城(宮崎県西都市鹿野田)

宮崎県西都市鹿野田にある前ノ城。伊東氏の本拠だった都於郡城の出城の1つ。前ノ城の丘陵は現在鶏舎があるため立入禁止になっています。上写真は東ノ城付近から見た前ノ城の丘陵の遠望。 前ノ城の地形図。すぐ東には東ノ城があります。 城跡から少し離れた道…

井之城(宮崎県都城市高城町)

平家の落人である井上氏の城と伝わる井之城です。井之城のある高城町四家という地区は源平合戦の後に平家の落人としてこの地に移り住んだ、黒木、井上、永峯、二見の四家が由来になっています。井之城の井上氏はこの四家の1つになります。上写真は野尻側から…

木場城(宮崎県都城市高崎町)

宮崎県都城市高崎町縄瀬にある木場(こばん)城に登ってきました。木場城は1571年に伊東義祐の家臣 伊東加賀守が城主となった山城で、現在公園として整備され山の上まで車で登ることができます。 木場城の説明板にある縄張り図。宮崎県では珍しい畝状竪堀群…

石山城(宮崎県都城市高城町)

宮崎県都城市高城町石山にある石山城に行ってきました。石山城は舌状台地の先端部に築かれています。1541年高城攻略を目指す北原久兼、伊東義祐の連合軍が茶臼ヶ陣山に陣を置きました。対する高城の北郷忠相は石山城に陣を置いて、対岸の伊東・北原連合軍と…

横武城(佐賀県神埼市)

佐賀県神埼市神埼町横武にある横武城に行ってきました。横武城は現在横武クリーク公園として整備されています。佐賀特有のクリークを水堀として利用した環濠平城の縄張りが見れるお城です。室町時代に横岳氏により築かれたといわれています。 横武城の説明板…

直鳥城(佐賀県神埼市)

佐賀県神埼市千代田町直鳥にある直鳥城に行ってきました。直鳥城は犬塚氏の居城で直鳥クリーク公園として整備されています。クリークに浮かぶ曲輪が小島のように見える環濠平城で戦国時代の縄張りがほぼ完全に残っている城跡です。 直鳥城の説明板にある上空…

馬関田城(宮崎県えびの市西川北)

馬関田城は北原氏の庶流である馬関田氏の居城です。東福城、馬関田古城とも呼ばれています。現在馬関田(まんがた)城はネット上でも正しくない位置で紹介され、どこにあったか不明瞭になっていました。自分も以前行った場所が違っていたので今回馬関田城の…

大口城(鹿児島県伊佐市)

鹿児島県伊佐市大口里にある大口城に行ってきました。大口城は菱刈氏の島津氏に対する最後の抵抗拠点となった山城です。現在ある遺構は菱刈氏没落後に城主となった新納忠元により整備されたものと思われます。1587年の豊臣秀吉の九州征伐では新納忠元は最後…

和田城(神奈川県三浦市)

鎌倉殿の13人の1人、和田義盛の館があったと伝わる和田城に行ってきました。 和田城の説明板。 和田城の石碑がある南側。 南側の高台から見た和田城の石碑方面。 和田城の石碑近くから見た南側の高台。 高台はキャベツ畑になっています。 和田義盛の碑がある…

猿ヶ城(宮崎県えびの市浦)

宮崎県えびの市浦にある猿ヶ城に登ってきました。猿ヶ城は奥まった池牟礼地区にあり宮崎県と鹿児島県の境目に位置する山城です。1471年に有馬豊前兵衛純秀が太宰府から池牟礼に移住して築いたのが猿ヶ城といわれています。猿ヶ城の東側麓は屋敷ノ内という字…