ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

城攻め

徳満城(えびの市東川北)

宮崎県えびの市東川北にある徳満城に行ってきました。徳満城は中世の真幸院を治めた北原氏の支城でした。北原氏没落後は島津義弘が飯野城に入り加久藤城の出城になりました。上写真は川内川越しに見た徳満城の遠望です。 徳満城の縄張り図。大きく小城、中之…

大明神城(えびの市大明司)

宮崎県えびの市大明司にある大明神城です。加久藤城と飯野城の中間に位置し、南に肥後街道を見下ろす要衝であることから、戦国時代には人吉の相良氏、伊東氏、島津氏による争奪戦が繰り広げられました。相良義陽は島津氏とともに北原氏の再興に協力しますが…

戸崎城(小林市野尻町東麓)

宮崎県小林市野尻町東麓にある戸崎城。国道268号を宮崎→小林方面に進み、のじりこぴあを過ぎて野尻大橋からすぐ右に見える山が戸崎城です。山には目立つように戸崎城跡の看板が立っているので遠くからでも確認できます 戸崎城は伊東四十八城の1つで、城主は…

紙屋城(小林市野尻町紙屋)

宮崎県小林市野尻町紙屋にある紙屋城の第二空堀。畑の中に残り市の指定文化財になっています。昨年行ったときは草ボーボーで藪化していて堀の形状がわからなかったのですが、草刈りされていてきれいになっていました☺️ 紙屋城は伊東四十八城の1つで、城主は…

南城(西都市鹿野田)

宮崎県西都市鹿野田にある南城。伊東氏の本城だった都於郡城の出城群の1つ。上写真は南西から見た南城の遠望です。 南城の位置。都於郡城の南を守る出城でした。 南城の地形。 南城の入口。 入口にある南城の看板。 曲輪Aの入口と城塁。 曲輪A。 曲輪Aから見…

長崎甚左衛門の居館(長崎県長崎市)

長崎県長崎市桜馬場にある長崎甚左衛門純景の居館です。現在は桜馬場中学校になっており校門脇に説明板が建ちます。中学校を囲む石垣に名残を感じますが、江戸時代の長崎村の庄屋として使われた時期に築かれたものと思われます。 中世に現在の長崎市の領主だ…

焼山城(長崎県長崎市)

長崎県長崎市片淵にある焼山城です。長崎氏の出城でした。上写真は片淵近隣公園から見た焼山城。 焼山城の縄張り図。(長崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より転載) 山頂に位置する楕円形の曲輪が主郭で、主郭東側に石積が残っていました。 片淵近隣公園…

飯野城(えびの市原田)

宮崎県えびの市原田にある飯野城に行ってきました。飯野城は1564年没落した北原氏に変わり島津義弘が城主となったお城です。島津義弘は30歳から56歳までの26年間、この飯野城を居城としました。 飯野城の縄張り図。本丸と南の物見曲輪は整備されていますが、…

加久藤城(えびの市小田)

宮崎県えびの市小田にある加久藤城です。飯野城に入った島津義弘が北原氏の久藤城に中城と新城を増築して加久藤城と命名し、妻の広瀬夫人を置いています。 1572年の木崎原の戦いでは伊東氏が加久藤城を攻めますが、攻略できず木崎原に兵を引き、島津義弘の奇…

内屋敷城(綾町南俣)

宮崎県東諸県綾町南俣にある内屋敷城に行ってきました。内屋敷城は綾城主だった綾氏の居館です。綾氏は足利尊氏の一族である細川小四郎義門が日向に下向し、綾城を築いたのが始まりとされ子の義遠の代から綾氏を名乗りました。 内屋敷の縄張り図。(宮崎県中…

垂水城(綾町入野)

宮崎県東諸県綾町入野にある垂水城です。伊東氏の家老で綾の地頭だった垂水氏の居城でした。1510年綾の乱で垂水城主 垂水但馬守祐元は同じく綾の地頭だった綾城主 長倉若狭守祐正とともに綾城に籠もりますが、主君の伊東尹祐に攻められ綾城で垂水氏、長倉氏…

福嶽城(福岡県朝倉市)

秋月氏の家臣 福嶽美濃守の居城だった福嶽城。標高175mの山頂に本丸が築かれ、現在は電波塔が建っています。秋月氏二十四城の1つでした。 山頂の本丸。 本丸に建つ電波塔。 西側から見た本丸。 本丸から東に下った尾根先端にある宮地嶽神社は福嶽美濃守の屋…

宇木城(長崎県諫早市)

長崎県諫早市有喜町にある宇木城です。宇木城は諫早の西郷氏の出城で、城主は西郷純堯の弟 西郷純門でした。宇木城のあった城跡の高台には有喜小学校があり、校門前に宇木城の石碑と説明板があります。 宇木城の石碑。 宇木城の本丸。 有喜小学校の東側の切…

八代城(国富町八代南俣)

宮崎県東諸県郡国富町にある八代城に行ってきました。 八代城は南北朝時代に南朝方の伊東祐広が拠点とした山城です。戦国時代には伊東四十八城の1つとなり城主は伊東新三郎でした。上写真中央の山が八代城。 八代城の縄張り図。本丸、中ノ城、二ノ丸、取添の…

銀鏡城(西都市銀鏡)

宮崎県西都市銀鏡にある銀鏡(しろみ)城です。ヤマビルに襲撃されながらの城攻めでした 銀鏡城は米良氏初代の米良重次が最初に居城とした城です。米良氏は後に居城を銀鏡城→村所城→小川城の順で変えています。 銀鏡城の位置。 銀鏡城の遠望。 銀鏡城の登り…

曽井城(宮崎市恒久)

南宮崎の野崎病院が建つ丘陵には戦国時代に伊東四十八城の1つ曽井城がありました。曽井城は南北朝時代に伊東氏一族の曽井氏により築かれ、伊東四十八城時代には伊東氏家臣の八代民部左衛門尉が城主でした。1587年豊臣秀吉の九州征伐の先導役をした功により伊…

北村・城ノ下(国富町宮王丸)

宮崎県東諸県郡国富町宮王丸にある北村・城ノ下という城跡伝承地に行ってきました。宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書に記載のある城跡ですが、いつの時代の城か、城主は誰だったのか、詳細な歴史は不明です。 北村・城ノ下の位置。国富市街地の丘陵東端…

肥田木城(綾町入野)

宮崎県東諸県郡綾町入野にある肥田木城は肥田木正連の居城でした。肥田木正連は伊東氏の家臣でしたが木崎原の戦いで伊東氏が大敗すると、島津氏の家臣となりこの城を任されます。上写真は天然の外堀である綾南川越しに見た肥田木城。 肥田木城入口に建つ石碑…

守永城(国富町森永)

宮崎県東諸県郡国富町森永にある守永城です。伊東四十八城の1つで城主は伊東氏家臣の内田四郎左衛門でした。守永城は九州オリンピア工業の工場がある場所が跡地といわれ、発掘調査では遺構が発見されたそうです。上写真は九州オリンピア工業がある守永城の丘…

本庄城(国富町本庄)

国富町の本庄中学校は伊東四十八城の1つ、本庄城があった場所といわれています。本庄城は鎌田城、鎌田ヶ城とも呼ばれ、城主は伊東氏家臣の川崎兵部丞でした。上写真は南側を流れる本庄川越しに見た本庄城の丘陵。 本庄城の位置。 本庄城のあった本庄中学校周…

総陣(国富町本庄)

宮崎県東諸県郡国富町本庄にある義門寺は、1587年豊臣秀吉の島津征伐の際に、日向方面の総大将となった豊臣秀長が本陣を置いた場所といわれています。そのため総陣または豊臣秀長総陣として宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書に記載されています。そして…

石城(木城町石河内)

宮崎県児湯郡木城町石河内にある石城。伊東四十八城の1つで城主は長友源三郎でした。新納石城とも呼ばれています。 石城の位置。城の三方を小丸川がぐるりと囲むように流れ、唯一陸続きの西側尾根を堀切で遮断する難攻不落の城です。 石城の説明板より石城の…

天ヶ城(宮崎市高岡町)

宮崎県宮崎市高岡町内山にある天ヶ城に行ってきました。 天ヶ城は関ヶ原の戦いで西軍につき敗れ帰国した島津義弘が、東軍の伊東氏に備えて国境を守るために築いた城です。天ヶ城の山の上には天守閣を模した天ヶ城歴史民俗資料館があり遠くからでも目立ちます…

小塚城(高原町蒲牟田)

宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田にある小塚城に行ってきました。 周囲を水田に囲まれた低い丘陵が小塚城です。丘陵上には曲輪とおぼしき平坦地があり公園と霊園になっています。 小塚城の位置。高原の市街地から南に離れた小塚地区にあります。 高原城の丘陵の地…

諏訪屋敷(高原町広原)

宮崎県西諸県郡高原町広原にある諏訪屋敷と呼ばれる城跡です。 水田の中にある微高地に方形の居館跡、周囲の外堀跡が残っています。諏訪屋敷の城主やいつの時代に使われた城かなど詳細な歴史は分かっていません。諏訪屋敷の微高地には神社が昔あったと伝わり…

奥城(高原町後川内)

宮崎県西諸県郡高原町後川内にある奥城です。 奥城は高原の東部に位置する後川内地区にあり、奥と呼ばれる集落の台地端部に平坦地が残りますが、城の縄張りなどはよく分かっていません。また城主や歴史的な城の詳細も不明です。 上写真中央の木々に囲まれた…

今城(串間市一氏)

宮崎県串間市一氏にある今城に行ってきました。 今城は『宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書』によると、揚原集落の北西1.5㌔の丘陵端部にあり、現在は畑地となり遺構は不明瞭と記載があります。誰が城主だったのか歴史的な詳細もまったくわかっていない…

大豆戸城(横浜市港北区)

神奈川県横浜市港北区篠原北にある大豆戸(まめど)城の丘陵です。 大豆戸城は小田原北条氏の家臣 小幡泰久が城主で、小机城の出城といわれています。 大豆戸城の位置。菊名駅東側の丘陵にありました。 大豆戸城の地形図。大豆戸城のあった丘陵には現在住宅…

鳥山城(横浜市港北区)

神奈川県横浜市港北区鳥山町にある鳥山城です。 鳥山城は源頼朝の御家人 佐々木高綱の居館と伝わります。館跡には現在鳥山八幡宮が鎮座しています。鳥山八幡宮のある場所は高台になっているのが上写真でわかります。 鳥山城の位置。 鳥山城の地形図。 鳥山城…

小林城(小林市真方)

宮崎県小林市真方にある小林城に行ってきました。 小林城は1566年伊東義祐の命により米良筑後守重方が築城し、伊東四十八城の1つとなります。米良筑後守は須木城と野首城の兼任で小林城の城主を任されたので伊東義祐の信任が厚かったのでしょう。島津義久、…