近江守護・佐々木六角氏の居城
観音寺城があった きぬがさ山。この山一帯が城跡で日本最大規模の山城です〜!安土駅から徒歩だと40分で登山口につきます。そこから山頂の城跡までは、30分の険しい山登りがまってます・・・。
山頂の本丸跡に残る食い違い虎口の石垣。すごい〜〜!観音寺城のすごいとこはまだまだあります。観音寺城主の六角氏の重臣たちの屋敷が山の中になんと!!!100以上もあります・・・。平井丸、淡路丸、池田丸などそれぞれに家臣の名前がついた曲輪が残ります。
↑平井丸の平虎口。まっすぐに城に侵入できる造りで防御性的には単純な縄張りになっています。平井加賀守の屋敷跡でした。
↑淡路丸の石垣。布施淡路守の屋敷跡でした。
↑進藤氏と後藤氏の屋敷周辺の大手道に残る登り石垣です。山の中を隅々探せばヤブに埋もれているすごいものが見つかりまする。
↑目賀田氏の屋敷跡にある井戸跡。除いたらすごく深かった〜〜。
↑これは、博物館にあった観音寺城の復元模型です。
観音寺城は、やっぱりすごい山城で、見学に3時間以上かかっちゃいますた。全国最大規模の山城ではあるけど、城の構造は曲輪を単純に配置しているだけで、防御性には欠けます。そのため1568年に六角義賢、義弼父子は、織田信長に攻められ戦わずして観音寺城から逃亡し、近江守護の六角氏は滅びます。近くの安土城考古博物館には「六角氏の支配と近江」という展示スペースがあって、六角義賢(承禎)の書状が置いてます。織田信長が安土城築城以前に、石垣を多用した山城を築城したり、石寺楽市を開いたり、今日は、六角氏のすごさに触れることができましたヽ(゚∀゚*)ノ