ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

梶原景時ゆかりの地(鎌倉市、寒川町)

鎌倉時代源頼朝のもとで梶原景時は隆盛をきわめた。
その一方で他の御家人たちからは告げ口をするとして嫌われていた武将である。
そんな彼の史跡がある神奈川県の鎌倉と寒川をめぐってきました♪ヽ(´▽`)/

梶原景時の墓(神奈川県鎌倉市梶原)


湘南モノレールの「湘南深沢」駅で下車し、深沢小学校。
校舎の裏にある梶原景時の墓です。
やぐらの中に五輪塔があり、鎌倉時代っぽい墓の雰囲気がよく出ています。
鎌倉市梶原の地名はここに梶原氏の屋敷があったことからきています。

御霊神社


梶原景時が先祖の鎌倉権五郎景政の霊を祀るためにたてた神社。梶原景時の墓の近くにあります。

一宮館址(神奈川県高座郡寒川町)


梶原景時源頼朝に讒言をし次々に有力な御家人を粛清することで自身の鎌倉幕府内での勢力を伸張します。
頼朝の死後の1199年、梶原景時は結城朝光に謀反ありと讒言しますが、逆に御家人たち66名の弾劾をうけ、鎌倉から追放となり入ったのがこの一宮館です。

内堀の名残である水路。

城主:梶原氏
場所:神奈川県高座郡寒川町一之宮

梶原氏一族郎党(七士)の墓


1200年梶原景時一族は武田有義を将軍に擁立し鎌倉幕府での復権を果たすため、京を目指して一宮館を出発。上洛の途中、駿河国静岡県清水市)で幕府方の刺客に襲われ梶原景時一族は全員討ち死に。
この七士の墓は一宮館に残された梶原氏の家臣のものと伝わります。