今日は太田道灌ゆかりの史跡を巡ってきました。太田道灌は扇谷上杉家の重臣で才覚のある戦国武将でした。25歳のときに江戸城を築城しています。道灌は神奈川県伊勢原市で生まれたとされ、市内には道灌ゆかりの場所がいっぱいあります。
まずは道灌の首塚の方から参拝しました。
今日はこのあと首塚→胴塚というまわしですo(`▽´)o
丸山城
下糟屋にある丸山城です。この城は誰の城かよくわかっていなく、地元の豪族である糟屋氏、または扇谷上杉氏の城の可能性が高いようです(・`ω-´)q
城は丸山城址公園となっていて、良く整備されています。本丸からは大山がうっすら見えます。土塁も残っていて良かったです!!
太田道灌の墓(胴塚)@洞昌院
こちらにあるのは胴塚。上杉館のあった場所から近い場所にありまする。
太田道灌は主君の上杉定正に上杉館に呼び出され、風呂からでたとこを刺客に斬り殺されたと言われています。
無念の最期でした、首塚に続き、道灌の胴塚も参拝できてよかった。
七人塚
上杉定正の刺客から、太田道灌を守るために討ち死にした、道灌の家臣たちの墓になります。
上杉館
上杉館は現在産業能率大学になっています。近くに空堀と呼ばれる地形が残っています(上の画像) 空堀というには幅が大規模で広く、単なる自然地形にも見えます・・・。
産業能率大学の正門前に、上杉定正の館の説明板がありました。
この場所で太田道灌は殺害されてしまいます。