長崎県大村市宮代町にある菅無田古戦場です。
1577年佐賀の龍造寺隆信が大村領の萱瀬村に8000の軍勢で侵攻しました。守る大村勢は峰弾正、一瀬半右衛門などの萱瀬の武士わずか300ほど。この報を聞いた大村純忠は峰弾正、一瀬半右衛門らに今富城(大村市皆同町)に撤退するよう促しますが、萱瀬の武士たちは自分の村を龍造寺氏から守るため、菅無田砦に籠もり戦いました。
2日間の激しい戦いで菅無田砦を守る兵士の大半は戦死しました。翌朝、大村純忠は龍造寺隆信の本陣があった琴平岳を奇襲し、龍造寺氏の軍勢を諫早に撤退させました。
菅無田古戦場には戦死した一瀬半右衛門ら萱瀬の武士の墓が残ります。
菅無田古戦場の説明板。
菅無田古戦場の位置。