坂口館は大村氏の家臣 庄頼甫の屋敷といわれ、日本初のキリシタン大名 大村純忠はこの坂口館で隠居し、1587年に54歳で亡くなりました。いわば大村純忠終焉の地です。現在坂口館は当時から流れる館の川と呼ばれる泉水を中心に大村純忠史跡公園として整備されています。
大村純忠終焉の居館跡の石碑と説明板。
大村純忠の事績を書いた説明板が並びます。この中には伊東マンショなどの天正遣欧少年使節の説明板もあります。
当時のものかはわかりませんが石垣。
館の川と呼ばれる泉水。
大村純忠史跡公園の全貌。
大村氏の家紋。
大村純忠は死去の前日に可愛がっていた小鳥を籠から逃がそうとしますが重病の床にあり小鳥を放つ体力がありませんでした。このとき侍女に頼みますが、侍女は小鳥をぞんざいに扱ったため純忠は怒ります。しかし怒る事は神の意思に反するとし純忠は侍女に立派な帯を与えて、「小鳥はデウス様が作られたものであるから、予はそれを可愛がっている。それゆえ今後とも愛情をもって扱ってほしい」と言ったと伝わります。
大村純忠の小鳥の逸話はこの場所であったんだなぁと思い浮かべ散策すると、当時の雰囲気を感じることができますね。
坂口館跡の大村純忠史跡公園の位置。