岡城は戦国時代に麻生家延により築かれた山城です。宇都宮氏の一族である麻生氏は花尾城の麻生氏本家と分家である岡城の吉木麻生氏があり、もともと麻生家延は本家出身でしたが本家の家督争いに周防の大内氏が介入したため、遠賀川西の岡ノ庄(現在の岡垣町)に領地を移されました。麻生家延は岡ノ庄の吉木に岡城を築いて本拠とします。これが吉木麻生氏の始まりです。1546年 3代目の麻生隆守のときに大友宗麟の配下である瓜生貞延に岡城を攻められ落城。麻生隆守は自刃し吉木麻生氏は滅びました。
岡城の麓には麻生隆守を弔う隆守院があり、その裏手にあるこじんまりとした小さな山(上写真)が岡城です。
岡城の縄張り図。南側の最高所に本丸を置き、一段下の北側に二の丸、さらに北側一段下に三の丸を配置した梯郭式の縄張りになっています。
岡城の登口は西側と東側の2ヶ所にありますが、西側の登口から攻めました。
本丸西側の切岸。かなり高さがあり傾斜が急になっています。
本丸西側の腰曲輪。
三の丸。
三の丸からの景色。
三の丸から二の丸への登り道。
二の丸。
本丸。
本丸の南側入口は傾斜が急で、こちらは搦め手だったんでしょうか。
帰りは東側の登り口に降ります。奥に進むと三の丸方面です。右下にある屋根のある建物は、麻生隆守一族の墓になります。
墓を下ると岡城の東側登口に出ます。
隆守院の墓地にある岡城の石碑。
戦国時代の福岡は周防の大内氏と豊後の大友氏の草狩り場となり、二大勢力に翻弄された福岡の豪族たちは去就に苦労したと思います。その中の一つ吉木麻生氏も大内氏に属したため大友氏に攻められ滅びるという小豪族の悲哀を感じる城跡でした。