宮崎市古城町の地名の由来となっている古城というお城に登ってきました。
古城の位置。古城のある丘陵の南には天然の外堀であった古城川が流れます。古城までは南宮崎駅から歩いて25分。
古城川の橋越しに見た古城の丘陵。
古城の全体図。古城の右半分は土砂採掘によりシラス台地が削られ城の遺構が消滅しています。また家が建てられている場所もあります。かろうじて残る古城の左半分の台地周辺を調査しました。
古城の丘陵に入ると、奥に削り残された古城の台地が見えます。
シラス台地が削りとられてしまった部分。
古城の左半分の削り残された台地の部分。
削り残された台地を近くで見るとシラス台地なのがわかります。この上にあがる道が民家の裏にあります。
民家の裏にある古城の台地への登り道。登り道の手前に土塁のようなものがあります。
登り道の手前にある土塁(古城全体図F)。虎口のような形状をしています。
登り道から古城の台地に上がると氏神様が祀られていました。
古城の台地。
古城の台地の最高所にある曲輪(古城全体図A)。昔は畑として使われていたそうです。ここが古城の昔から残る台地になります。古城の右半分も台地が削り採られる前はこの高さの台地が続いていたそうです。
古城の台地から南側に降りていくと土塁があり、台地の切岸との間が空堀のようになっています(古城全体図B)。
さらに西に降りていくと入口のような感じになっています(古城全体図C)。
古城全体図Cの入口の脇にある土塁。草に覆われてわかりずらいですが分厚い土塁になっています。
古城の台地下の西側は空堀のような地形になっている(古城全体図D)。
西側から見た古城の台地の切岸。台地の西側には腰曲輪が広がっています。
台地の西側に広がる腰曲輪と切岸(古城全体図E)。
最後に古城の台地から見た南側の景色。写真の家や畑がある低い場所は古城の台地を削って造成されました。
古城の歴史について古城の丘陵に住むお爺さんに聞いたところ、宮崎市内には古城と呼ばれる城が3箇所あり、その中でもここの古城はもっとも古い時代に使われていた城だそう。古城の城主などの伝承は伝わっておらず不明とのこと。古城から東に500mという近い場所に戦国時代に使われた伊東48城の1つ曽井城(現在 野崎病院が建つ丘陵)があることから、古城は早い時期に廃城になっていたと思われます。
南側からみた古城の丘陵。左が古城、右の山は護東寺という寺があった場所になります。