宮崎県小林市須木にある須木城に行ってきました。須木城は伊東四十八城の1つで代々須木米良氏の居城でした。須木城主だった米良筑後守重方は伊東義祐から須木城の他に小林城や野首城の城主も任されるほど信任の厚い武将でしたが、1572年の木崎原合戦において加久藤城攻めの殿軍となり戦死してしまいます。その後、米良筑後守の弟 米良矩重が須木城主となりますが、奈佐木城の肥田木三郎兵衛尉などとともに島津氏に寝返ります。現在須木城は城山公園として整備され近くにはすきむらんどがあります。上写真は西側から見た須木城の丘陵。
須木城の縄張り図(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より加筆して転載)。須木城は本丸に相当する松尾城、庚申城(現地では荒神城)、肥田木城、Aの丘陵(名称不明)で構成された群郭式山城です。
須木城の登口。正面は庚申城(荒神城)の丘陵。
登口にある須木城の城址碑。
丘陵Aと松尾城の間の堀切。
松尾城の入口。
松尾城の曲輪②。奥には曲輪①の虎口と石垣。
曲輪①の石垣。
曲輪②から見た曲輪①の虎口。石段になっています。
曲輪①。
曲輪①から見た曲輪②。
松尾城曲輪②からの眺め。
松尾城曲輪③
丘陵Aの切岸。
丘陵Aの曲輪。
丘陵Aの曲輪。
丘陵Aの土塁。
丘陵Aの土塁の切れ目。
丘陵Aの北端の曲輪。
庚申城と丘陵Aの間の堀切。
庚申城と丘陵Aの間の堀切。
丘陵Aから堀切越しに見た庚申城の切岸。
庚申城の入口。
庚申城の虎口から見た堀切。
庚申城の虎口。
庚申城の土塁(虎口西側)。
庚申城の土塁(虎口東側)。
庚申城の曲輪。
西側から見た庚申城の切岸。
肥田木城と庚申城の間の堀切。
肥田木城の標柱。
肥田木城の切岸。
肥田木城の虎口。
肥田木城の曲輪から見た虎口。
肥田木城の曲輪。
肥田木城の曲輪の西側下にある腰曲輪。
肥田木城北側の堀切。
地頭仮屋。
須木城の位置。