高蝉城は1401年に島津久豊(島津氏8代)が伊東祐武の石塚城を攻めるために築いた山城です。
高蝉城の位置。宮崎西バイパス横の宮崎学園野球場の背後にある丘陵が高蝉城です。高蝉城の山には江戸時代の頃まで妙円寺という寺があったそうで、今残る遺構がどこまで山城のものなのかはわかりません。近くには妙円寺跡石塔群があります。
高蝉城のイメージ図。縄張り図が無いお城なので自分で作成してみました。丘陵の西側は断崖絶壁の地形で一番高い場所が本丸と思われ、崖側には土塁がありました。本丸の一段下にも曲輪2があり土塁が残ります。先述の通り戦国時代に廃城になったあとは妙円寺の寺地であったため、すべてが城の遺構かは不明瞭な部分もあります。
高蝉城の登口は南側にあり、上図の祠の裏から山に入ります。
高蝉城の登口。
登口を上がると祠があり、この裏から山に入ります。
山に入るといきなり虎口が現れます。
本丸南側の腰曲輪。
本丸東側の切岸。高さに圧倒されます。この上が本丸。
さらに本丸東側の切岸、北東隅。
曲輪3からみた曲輪2の切岸。階段があるのでここから上がります。
城内の至るところに古い墓石が残り、廃城後にお寺として使われていた痕跡が窺えます。
曲輪2。墓石が立ち並び、奥には土塁があります。
曲輪2には大量の瓦が落ちていました。妙円寺に使われていた瓦なのでしょうか。
曲輪2からみた本丸。正面奥の高い場所が本丸になります。
本丸から曲輪2をみたところ。
山頂の本丸。奥には土塁がみえます。土塁の向こう側は崖になっています。
本丸の土塁。
南側から見た本丸。
曲輪2から見た曲輪3。曲輪3は広大な広さでどこまでが城域だったのかはよくわかりません。
図Aのあたり。堀のような凹みがありました。
図Bのあたり。
図Cのあたり。
最後に高蝉城の本丸の土塁に登って見た景色。断崖絶壁から見る景色は遥かに石塚城を見渡せ、まさに伊東方の石塚城を攻めるための砦だったんだなと感じることができます😊