宮崎県えびの市原田にある桶平城です。桶平陣、桶平塁、田原陣とも呼ばれます。1568年伊東義祐は飯野城の島津義弘が大口の菱刈氏を攻めに行った隙をついて、飯野城を攻めようとします。飯野城攻めのために伊東祐安に命じて築かせたのが桶平城(田原陣)になります。結局、島津義弘に計画をよまれ成功しませんでした。
その後伊東氏重臣の佐土原遠江守が桶平城を守備しています。島津義弘は家臣の遠矢下総と黒木播磨守実利に命じて桶平城を攻めさせます。遠矢と黒木は鶉狩りの格好で桶平城に籠もる城兵を挑発し、城の外に出てきたとこを島津得意の釣り野伏せにより伊東勢に大打撃を与えています。伊東氏は桶平城を焼いて小林の三山城に撤退しています。
えびの市教育委員会の「えびの市の城館跡」では①の丘陵が桶平城とされています。①の丘陵は宮崎自動車道の建設のために土採りで削られ、北側の一部のみが残り、遺構はあまり残っていないとのことです。その南にある②の丘陵も桶平城の曲輪だったと思われますがこちらも土採りで削られていました。その東にある③の独立丘陵は虎口や曲輪を囲う土塁が残っており、ここも曲輪の一部だったのではないかと思います。ネット上では③の丘陵が紹介されていました。
①の丘陵を東側から見たところ。左側の南部分が消滅しています。
丘陵②の部分。こちらも削られていました。もしかしたら①と②の丘陵はつながっていたのかもしれません。
③の虎口。
③の虎口を見上げたところ。
③の切岸。
丘陵③の曲輪内部。ぐるっと囲う鹿よけフェンスの外には土塁があります。
③内部。
③の南西にある土塁。
南西隅の土塁。
えびの市の景勝地である陣の池。桶平城(田原陣)が近くにあることからこの名称がついています。
池は透きとおり、角度を変えて見ればエメラルドグリーン😊
陣の池の説明板。
陣の池の由来。
桶平城の位置。