ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

稲津重政と雪江の供養塔(日南市板敷)

飫肥の長持寺跡にある清武城主 稲津掃部助重政と妻雪江の供養塔を参拝しました。本墓は清武にありますが、伊東家のお膝元飫肥にも供養塔はあります。

稲津重政は初代飫肥藩主伊東祐兵の小姓から才覚を認められ清武城主に出世しますが、1600年宮崎城の戦いの責任を他の重臣らに押し付けられ、清武城にて妻雪江とともに自刃。重政29歳、雪江15歳でした。悲運の死を遂げた稲津重政と雪江夫婦。日南の人にも知ってほしい場所ですね。

供養塔には稲津重政と雪江の戒名が刻まれています。供養塔の上部が欠けていました。

倒れている標柱の側面に稲津重政の戒名。

稲津重政と妻雪江の供養塔。