酒谷城主 山田匡得宗昌公の墓を参拝しました。山田匡得は戦国時代に伊東氏の武将として島津軍からも恐れられながら称賛も得る名将でした。
1558年 14歳の初陣にして島津方の勇猛な亀沢豊前守を組み討ちの末討ち取る。1568年の小越合戦では前年に父の宗継を討ち取った北郷方の勝岡城主 和田民部少輔を討ち取り父の仇を討ちます。伊東義祐が豊後に落ち延びたあとも日向国の石城において島津軍を迎え撃ち奮戦。その後、大友氏の佐伯惟定の元に身を寄せ1568年の堅田合戦で佐伯軍の指揮をふるい島津軍を撃退。大友宗麟から甲冑を贈られています。豊臣秀吉の九州征伐により伊東祐兵が飫肥城に入り伊東家を再興すると帰参し酒谷城主に任じられました。
酒谷城麓の匡得神社に祀られている山田匡得公の墓石。
山田匡得公の墓石。
匡得神社の賽銭箱。
山田匡得の家紋。
匡得神社。
酒谷城麓にある匡得神社。
山田匡得の記念碑。