ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

山田匡得の墓(日南市)

酒谷城主 山田匡得宗昌公の墓を参拝しました。山田匡得は戦国時代に伊東氏の武将として島津軍からも恐れられながら称賛も得る名将でした。

1558年 14歳の初陣にして島津方の勇猛な亀沢豊前守を組み討ちの末討ち取る。1568年の小越合戦では前年に父の宗継を討ち取った北郷方の勝岡城主 和田民部少輔を討ち取り父の仇を討ちます。伊東義祐が豊後に落ち延びたあとも日向国の石城において島津軍を迎え撃ち奮戦。その後、大友氏の佐伯惟定の元に身を寄せ1568年の堅田合戦で佐伯軍の指揮をふるい島津軍を撃退。大友宗麟から甲冑を贈られています。豊臣秀吉九州征伐により伊東祐兵が飫肥城に入り伊東家を再興すると帰参し酒谷城主に任じられました。

酒谷城麓の匡得神社に祀られている山田匡得公の墓石。

山田匡得公の墓石。

匡得神社の賽銭箱。

山田匡得の家紋。

匡得神社。

酒谷城麓にある匡得神社。

山田匡得の記念碑。

惣陣ヶ丘(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市福山町にある惣陣ヶ丘に登りました。惣陣ヶ丘は1561年の廻城合戦で島津貴久、義久親子が本陣とした場所です。合戦のあらましは肝付兼続に奪われた廻久元の居城である廻城を奪還するための戦でした。上写真は惣陣ヶ丘の遠望。山の斜面にカタカナで「フクヤマ」の文字が入っており目立つ山です。

廻城と惣陣ヶ丘の位置。

惣陣ヶ丘の地形図。標高483.5mの頂上に本陣跡があります。現在は惣陣ヶ丘展望所となっており登山道が整備され気軽に登れます。

地形図②のあたり。

②から山頂①に向かう途中にある堀切のような地形。

堀切近くに祀られている石塔。

堀切付近から見た山頂①。

山頂①。

山頂の最高所。黒酢のまち、福山ぽい惣陣ヶ丘の甕。

山頂の本陣跡。目の前には桜島が見渡せる絶景。三角点もあります。

惣陣ヶ丘山頂から見た桜島。肝心の廻城は木々が生茂り見えませんでした。

惣陣ヶ丘の南側の眺望。

説明板。

富士塚城

神奈川県横浜市泉区下飯田町にある富士塚城に行ってきました。鎌倉時代の武将、飯田五郎家義の館があったとされる場所で、飯田城、飯田五郎家義館とも呼ばれています。飯田家義は石橋山の戦い大庭景親の娘婿であることから初めは平家方に着きますが、戦いに敗れた源頼朝を助け、富士川の戦いでは源氏側として戦い活躍しました。のちに梶原景時の討伐にも関わります。

富士塚城跡の城址碑がある富士塚公園。城跡は富士塚公園の東側の住宅街や墓地となっている丘陵にあったらしく遺構はありません。

富士塚公園にある説明板。

富士塚城の丘陵の遠望。境川を挟み湘南台が見える立地でした。