ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

鹿児島県の城

惣陣ヶ丘(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市福山町にある惣陣ヶ丘に登りました。惣陣ヶ丘は1561年の廻城合戦で島津貴久、義久親子が本陣とした場所です。合戦のあらましは肝付兼続に奪われた廻久元の居城である廻城を奪還するための戦でした。上写真は惣陣ヶ丘の遠望。山の斜面にカタカ…

小城(鹿児島県鹿屋市輝北町)

鹿児島県鹿屋市輝北町下百引にある小城です。別名「くずれ城」といわれています。百引地方を治めた伊賀倉氏(猪鹿倉氏)の白岩城の出城といわれ、1538年に肝付兼続の攻撃を受け落城しています。上写真は南側から見た小城の丘陵。 小城の地形図。小城の丘陵に…

鶴羽城(鹿児島県鹿屋市)

鹿児島県鹿屋市花岡町にある鶴羽城に行ってきました。鶴羽城は江戸時代に花岡島津氏の居館として木谷城の山麓に築かれました。 地形図。山麓の鶴羽城は鶴羽小学校跡となり、木谷城は鶴羽城山公園として整備されています。 鶴羽城の石垣。 鶴羽城の門。 門に…

登見城(鹿児島県鹿屋市輝北町)

鹿児島県鹿屋市輝北町にある登見城に行ってきました。登見(とげん)城は登見山の山頂に築かれた城で、市成氏の垂野城の出城としてのろし台があったといわれています。いまは山頂に通信施設みたいなのがあり遺構はありません。上写真の中央奥の高い山が登見…

垂野城(鹿児島県鹿屋市輝北町)

鹿児島県鹿屋市輝北町市成にある垂野城に行ってきました。垂野城は市成氏の居城であり市成城とも呼ばれています。市成氏は南北朝時代に島津貞久により滅ぼされ、領主は山田忠経、肝付兼続、島津征久、伊集院忠棟と変遷し、1614年に敷根立頼が入ります。敷根…

高隈城(鹿児島県鹿屋市)

鹿児島県鹿屋市上高隈町にある高隈城(松尾城)に行ってきました。高隈城は肝付氏の支城として築城され、南北朝時代には南朝方の楡井頼仲が入りますが、北朝方の畠山直顕の命を受けた祢寝清種に攻められ落城しています。戦国時代には志布志の新納氏、肝付氏…

大姶良城(鹿児島県鹿屋市)

鹿児島県鹿屋市大姶良町にある大姶良城に行ってきました。大姶良城は内城を中心とした12城から成りその規模は肝付氏の高山城をしのぐといわれる山城です。古くは禰寝院北俣の領主だった富山氏が居城とします。富山氏の子孫は大姶良氏、横山氏、志々目氏、浜…

垂水城(鹿児島県垂水市)

鹿児島県垂水市市木にある垂水城に行ってきました。垂水城は1120年に藤原舜清が築城したといわれ3年余で蒲生に移ると石井氏を経て戦国時代には伊地知氏の支配下に置かれました。伊地知氏が垂水を去ると1599年には島津以久が垂水城に入り垂水島津家となります…

加瀬田ヶ城(鹿児島県鹿屋市輝北町)

鹿児島県鹿屋市輝北町平房にある加瀬田ヶ城(加瀬田城)に行ってきました。加瀬田ヶ城は肝付氏の高山城の重要な支城で、高山と三俣の中間点に位置しています。南北朝時代の1336年北朝方の島津貞久が南朝方の肝付氏の加瀬田ヶ城を攻め、城主の肝付兼隆は35日…

西原城(鹿児島県鹿屋市輝北町)

鹿児島県鹿屋市輝北町上百引にある西原城に行ってきました。西原城は百引地方を治めた肝付方の図師氏の居城です。肝付氏の北辺の監視城だったそうで万一の際は狼煙を上げ肝付氏の本拠である高山方面に急を報せたといわれています。 西原城の地形図。 曲輪①と…

城ヶ尾城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市財部町下財部にある城ヶ尾城です。曽於市と都城市の境目に位置する山城で、都城の北郷忠相が1528年城ヶ尾の戦いで陣を置いた場所です。北郷忠相は伊東祐充と新納忠勝の両方から援軍要請を受けますが、伊東氏有利と見て伊東祐充と連携し新納忠…

土成城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある土成城に登りました。土成城は築城年や城主など歴史的な詳細がわかっていない山城です。 土成城の縄張り図。主郭には塚が残り、南側斜面には2段の横堀らしき遺構がありました。 麓にある標柱と背後の丘陵が土成城。 土成城…

月野城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町月野にある月野城(槻野城)に行ってきました。月野城は島津方の若松石見守の居城で、1599年庄内の乱の際に伊集院軍の日高静鎮、中村吉右衛門らの奇襲を受け、城主の若松石見守は討死しています。現在城跡は月野小学校になっています。 …

新城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある新城です。天文年間に北郷氏が税所氏の守る岩川新城を攻めたという記録があり、岩川新城に該当する城がこの新城といわれています。 新城の地形図。新城の丘陵のある山頂は畑地として整備されたため、どこまでが遺構かは不明…

平松城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町南之郷にある平松城です。平松城は要衝である国合原の北側にあり付近では度々合戦がおきています。1573年北郷氏の家臣 永井刑部(肝付氏家臣の説あり)が築いたといわれ、北郷氏は平松城を肝付攻めの拠点とし平松陣とも呼ばれています。…

恒吉城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町恒吉にある恒吉城に行ってきました。恒吉城は庄内十二外城の1つで、1599年の庄内の乱の際には伊集院方の伊集院宗右衛門、滝聞兵三郎が守備しました。 恒吉城の縄張り図。Ⅰ群の日輪城、Ⅲ群の西高城、Ⅳ群の東高城を中心に構成された大規模…

手取城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町中之内にある手取(しゅじゅ)城に行ってきました。手取城は平信基の五男 岩川信家により築城されたといわれています。岩川氏は南北朝時代に繁栄しますが、1359年島津氏久が国合原で相良定頼に負けた際に岩川氏は氏久の援軍を拒否したた…

岩川城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市大隅町岩川にある岩川城です。岩川城は馬場城や岩尾城とも呼ばれ岩川氏の家臣馬場氏が築いたといわれています。1566年肝付氏が北郷時久領の岩川城を攻め肝付方は26の首級、北郷方は久木崎丹後守等10余騎討死するという記録から、岩川城は岩川…

宝珠庵城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町にある宝珠庵城です。末吉城より古い時期に築かれた城で島津氏の当主が度々滞在した城だそうです。1560年島津貴久と伊東義祐の和睦交渉があり島津貴久は足利義輝の使者伊勢貞運とこの城で会見しましたが和睦交渉は不調に終わっています…

末吉城(鹿児島県曽於市)

鹿児島県曽於市末吉町にある末吉城です。庄内十二外城の1つで、1599年の庄内の乱の際には伊集院忠真の弟 伊集院小伝次が城主でした。伊集院小伝次は島津方の攻撃を受けますが末吉城を守りきり、伊集院と島津の和睦で末吉城を島津氏に明け渡しています。末吉…

溝辺城(鹿児島県霧島市)

鹿児島県霧島市溝辺町麓にある溝辺城に行ってきました。溝辺城は築城者や築城年はわかっていませんが溝辺孫太郎の居城だったといわれています。南北朝時代になると島津氏により肝付兼固が大崎から溝辺に移封され城主となりました。肝付兼固の父である肝付兼…

野間城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北にある野間城です。戦国時代に祢寝氏の家臣 野間武蔵が城主でした。城の前身は建部城でそれを拡張したのが野間城といわれています。上写真は南側から見た野間城の丘陵。 縄張り図。 野間城の入口。 町営住宅から野間城へ入る…

瀬脇城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南にある瀬脇城です。瀬脇城は祢寝氏の重臣 税所篤長の居城でした。祢寝重長が島津氏と和睦したため瀬脇城はこれまで同盟関係にあった肝付氏、伊地知氏の連合軍に攻められ落城。税所篤長も討ち死にしています。上写真は東側から…

富田城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川南にある富田城に行ってきました。富田城は祢寝氏の本拠の1つです。もともと祢寝氏は佐多の高木城を拠点としていましたが、祢寝5代 祢寝清治のときに富田城を築いて根占に移りました。後に祢寝氏は国見城を築いて移る時期もあり…

国見城(鹿児島県南大隅町)

鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北にある国見城です。国見城は1321年祢寝7代 祢寝清成が築城し富田城から祢寝氏の本拠を移します。戦国時代に祢寝氏の本拠は再び富田城に変わり、国見城には家臣の野間武蔵が在番したようです。17代 祢寝重張のとき富田城が手狭…

岩弘城(鹿児島県東串良町)

鹿児島県肝属郡東串良町岩弘にある岩弘城です。岩弘城は1411年 島津久豊(島津氏8代)の命により串良の地頭になった平田重宗が築いたといわれています。平田氏は重宗、氏宗、兼宗と岩弘城で3代続きますが、平田兼宗のときに島津忠昌(島津氏11代)の怒りをか…

岸良城(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町岸良にある岸良城に行ってきました。岸良城は肝付一族の岸良氏の居城で、城のある地域は本地と呼ばれています。岸良氏は肝付4代 肝付兼員の二男 兼基が岸良の地を与えられ岸良氏を名乗ったのが始まり。上写真は岸良城のこんもりとした小…

下伊倉城(鹿児島県東串良町)

鹿児島県肝属郡東串良町にある下伊倉城です。下伊倉城は肝属川沿いに築かれた肝付一族の水運の拠点となった平城です。この城から米などの物資が肝付氏の各城に運ばれたそうで、野崎氏が城を任されました。畑となった本丸、二の丸を分厚い土塁が囲み、その外…

柳井谷の陣(鹿児島県肝付町)

鹿児島県肝属郡肝付町新富にある柳井谷の陣です。1506年 島津忠昌(島津氏11代)が肝付氏の高山城を攻めた際に本陣を置いた山です。この合戦は肝付氏に援軍するものが多く、島津忠昌は高山城を落とせず鹿児島に引き上げました。 地形図。柳井谷の陣は登山道…

龍相城(鹿児島県大崎町)

鹿児島県曽於郡大崎町にある薬丸弾正兼持が守将だった龍相城(竜相城)です。1469年に肝付兼光(肝付12代肝付兼忠の三男)が龍相城の前身である大崎城を築きます。肝付兼光は肝付本家を離れ島津忠昌の配下になったため子の兼固のときに溝辺→加治木→喜入と領…