宮崎市内で近年発見された城跡に登ってきました。
その名は新名爪城という仮称された城跡で、昔から地元の方により城があったという伝承があり、2005年に宮崎市教育委員会の方により遺構が実際に確認されました。
新名爪は1181年頃に土持景綱が宇佐八幡宮の分霊を勧請した新名爪八幡宮があり、古くから土持氏の所領があった場所で、発見された新名爪城も土持氏の城と想定されています。
新名爪城の位置。宮崎北高校の裏山にあります。
新名爪城の縄張り図。福田泰典氏の『新名爪とその周辺 残された城郭遺構から見えてくるもの』より縄張り図を転載。山に登ってみると細い尾根にはたくさんの堀切が残り、特に山頂の本丸背後の堀切Cはびっくりするほど巨大でした!!😳 宮崎市内にこんな大きい堀切が残るのは宮崎城や穆佐城しかないかな。
山の北東にある新名爪城の登口。何かの施設にいくための道があり、城跡の途中までは行けます。その施設の南側にいくと城跡の入口で三段の腰曲輪があります。
曲輪Ⅱ東側にある腰曲輪。一段目から二段目を見たところ。
腰曲輪(二段目)。左の崖は三段目。
曲輪Ⅱ東側の堀切A。
堀切Aからつながる縦堀。曲輪Ⅱへの侵入を阻む位置にあります。
曲輪Ⅱの切岸。
曲輪Ⅱと曲輪Ⅰの間にある堀切B。
曲輪Ⅱ内部。
堀切B越しに見た曲輪Ⅱ。
曲輪Ⅱから堀切B越しに見た曲輪Ⅰ方面。
曲輪Ⅰの東側は二段の曲輪があり一段目の曲輪。右の崖は二段目の切岸。高低差があります。
曲輪Ⅰから見た二段目の曲輪。二段目と曲輪Ⅰの高低差はあまりない。
曲輪Ⅰ南側の土塁。曲輪Ⅰは西側から南側にかけて土塁が巡ります。
新名爪城の本丸である曲輪Ⅰ。奥に見えるのは西側の土塁。L字で高さもあり重厚な土塁になっています。
曲輪Ⅰ西側の土塁。
曲輪Ⅰ(本丸)背後の堀切C。曲輪Ⅰ西側にあり新名爪城で一番の見所になります。とにかく規模がすごい!右側が曲輪Ⅰの切岸でちょうど土塁の裏側にあたります。堀切Cは西側尾根から曲輪Ⅰへの敵の侵入を防ぐ役割をしています。
堀切Cを反対方向から見たところ。左は本丸の切岸。急崖になっているのがわかります。
堀切Cから見上げてみた曲輪Ⅰの切岸。高さに圧倒されます!
堀切Cを構成する土塁。
曲輪Ⅲ。曲輪Ⅰと堀切Cを越え西側の尾根に続く細長い曲輪で、加工度は低く自然地形のように見えます。
曲輪Ⅲと曲輪Ⅳの間にある堀切D。
堀切Dを曲輪Ⅳから曲輪Ⅲ方面に見たところ。
曲輪Ⅳ。曲輪Ⅲと同じく尾根に続く細長い曲輪です。
堀切E。
曲輪V。尾根の分岐地点にあります。
縄張り図には記載はないですが、南側の尾根にも堀切があります。
南尾根の堀切。
南尾根の堀切を反対方向から見たところ。
曲輪Ⅴから東側の尾根方面へ。小さい堀切があります。
東尾根にある堀切F。
堀切Fを別角度から見たところ。
東尾根先端の堀切G。
堀切Gを別角度から見たところ。
堀切Gから見た東尾根。東尾根の堀切はだいぶ浅くなっていました。
以上、新名爪城でした。無名ながらすごい山城に高まりすぎて、築いたら4時間以上山の中にいました😆